2016年5月14日土曜日

(507) 「こころ」「蜘蛛の糸」


「あらすじ名作劇場」 BS朝日
2016511日(水) ~ 放映済み ~ より

 
「こころ」(夏目漱石)あらすじ

===== 引用はじめ

【上 先生と私】 語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰った後も先生の家に出入りするようになる。先生は奥さんと静かに暮らしていた。毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する。正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。先生は来るべき時に過去を話すことを約束した。大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。

【中 両親と私】 語り手は「私」。腎臓病が重かった父親は、ますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。

【下 先生と遺書】 「先生」の手紙。「先生」の手紙には謎に包まれた彼の過去が綴られていた。「K」や「お嬢さん」らとの関係とその顛末、「先生」が「私」に語った謎めいた言葉たちの真相が明かされる。

=====  引用おわり
「こころ」 Wikipedia より


100分で名著」でも、この本は取り上げられた(20134月)。その時は「高等遊民」が随分とりあげられて面白かったが、今度の「あらすじ名作劇場」では全く触れられなかった。筋を追うのに集中でき、これはこれで良かった。

 
 確かに「こころ」と題しているだけに、こころの動きを丁寧に追っており、謎解き要素もあり、興味が続く。「先生」と「私」(師弟)、「先生」と「K」(友情)、「先生」と「お嬢さん」(恋愛)、さらに先生の奥さん、私の父、お嬢さんのお母さんなど、多すぎない人物で構成してあるのがありがたい。


 自殺が二回でてきて、自殺される側、自殺する側の両面から、その心の動きを追っている。弱さがさらけだされている。読者として、それを観察してみたり、ともに味わってみたり、行ったり来たりする。

 最近、いじめに伴う自殺が多いが、その「心の闇」は、覗き見たいと思わない。テレビの解説やコメントは、「こころの辛さを知れ」といった無機質な言葉が並ぶ。

 
 死をかけた心の動きを読ませる、そういう小説だと思った。

 

「蜘蛛の糸」(芥川龍之介)あらすじ

===== 引用はじめ

釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。

暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは重みで糸が切れるだろう。カンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。下りろ。」と喚いた。すると蜘蛛の糸がカンダタの所から切れ、彼は再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。

=====  引用おわり

「蜘蛛の糸」 Wikipedia より

 
 児童向け文芸雑誌『赤い鳥』創刊号に発表された児童文学である。話が、単純明快である。

 
私は、子どものころ紙芝居で見たと思うが、今回も紙芝居で紹介された。
 珍しく、ほぼパーフェクトに記憶していた。

 
 削ぎに削いだ小説だ、という印象が残った。

 「こころ」といい「蜘蛛の糸」といい、分かりやすい言葉で表現されている。私も、修行したいと思った。とても、およびそうにはないが。

 
次回は、
518日(水)22:00 23:00 放送】
「怪人20面相」ほか

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