2016年5月1日日曜日

(495) 「Yes / No 」課題と「未練」課題


  「”Yes” なのか ”No” なのか」と問われたとき、私は「○○○という条件なら “Yes” △△△という条件なら “No” 」というパターンで答えることが多いが、評判が悪い。いわく「そんなわかりにくい答えではだめだ。簡潔に答えよ」。しかし複雑な問題を精一杯整理して表現したのが私のパターンで、これ以上簡潔にしようがない。

  「要するに、『はい』なのか『いいえ』なのか、どっちなのだ?」にこだわる相手は、結局、(わかりにくい・考える気もしない)○○○△△△という条件を無視して進めるので、私が考えたことは無駄になる。博打みたいなものだ。あ~あと思うのだが、なかなかこの壁は破れない。これを「Yes / No 」課題と名付けてみた。

 
 別の話。

 
 「(浄瑠璃の)人間国宝の大夫(具体的には最近引退された竹本住大夫さん)は、全然違う」と聞いて、どこが違うかを訊ねた。例えば「未練」という言葉が出てきたときに、素人だと「ミレン」という言葉しか聞こえない。しかし、住大夫さんのを聞くと、その三つの音を聞くだけで、「未練の思いがひしひしと伝わってきて、自分の心の中に未練の情が沸き起こる」という。

 これは発信者のことだが、受信者についても同様なことが言える。「未練」という言葉を情念として受け止められる(心が動く)人と、「未練」=「執心が残って思い切れないこと・あきらめきれないこと」(デジタル大辞泉)と字句としてしか受け取れない人とがいる。これを「未練」課題と名付けてみた。
 

 「Yes / No 」課題も、「未練」課題も、訓練や経験でよりよく対処できるようになることは可能だし、その努力は必要だろう。しかし、所詮、得意・不得意は残る。

 
 結局は「さまざまな人がいることを前提にし、生きていけ」ということだろう。

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