2016年4月30日土曜日

(494) 「五輪書」(1)兵法の道はすべてに通じる(5月2日(月) 22:25- Eテレ放送)


 吉川英治は、①小説『宮本武蔵』を書いた後、小説のフィクションと史実が混同されることを恐れ、②『随筆宮本武蔵』を書いた。

①の小説は、映画、芝居、ラジオ、テレビ、マンガなどで繰り返され強固な「宮本武蔵イメージ」ができたが、これは虚像である。では「本当の武蔵はどうだったか」、研究の成果がこの本に書いてある。虚像の武蔵には『五輪書』を書けない。

 
 『五輪書』は、宮本武蔵 ( 1582 – 1645 ) が、自らの生涯を通じて見出した「武士としてのあるべき生き方」を後世の人々に遺すために著した書物であり、「地()・水(スイ)・火()・風(フウ)・空(クウ)」の五巻から成っている。

 
 「地の巻」は、自らの来歴を書くとともに、正しい道の地盤を固める巻として武士の道のあらましを示す。武士は剣術を基礎として道を学ぶが、兵法は剣術だけでなく、武家の法すべてに関わることを論じる。

 「水の巻」は、器に応じて変化し、一滴から大海にもなる水のイメージによって、兵法を核として、武士が常に鍛錬しておくべき剣術の鍛錬法を説いている。

 「火の巻」は、小さな火がたちまち大きく燃え広がるイメージによって、一人の剣術の戦い方の理論は、千人、万人の合戦にも応用できることを示す。

 「風の巻」は、「その家々の風」として、他の流派について、その誤りを指摘して、自らの理論の正しさを確かめている。

 「空の巻」は、何事にもとらわれない空のイメージによりつつ、自らを絶えず省みながら鍛錬を積み重ねていくことを説く。道理を体得すれば道理にとらわれない自由な境地が開かれ、実の道に生きることを説く。

 
 「兵法における拍子」が興味深かった。

 諸芸諸能の道においては、まわりと合うことを拍子(リズム)の基本としている。
 ところが兵法においては、敵と「あふ」拍子を知るとともに、敵の意表を衝く「ちがふ拍子」も知らなければならない。
 
 また、大小・遅延の中で「あたる拍子」「間の拍子」「背く拍子」を知る必要もある。
 そして、それぞれの敵の拍子を知って、敵が思いもしないリズムで勝ちを得るのが兵法における拍子だとしている。

 
 納得できる説明である。今までの経験をよく説明できるし、これからの作戦にも使えそうである。

 
 『五輪書』は、記述がきわめて具体的で明晰で、人間のからだに即しており、まさに武道の「思想」を論じた書といえる。

「武道の三大古典」とは、柳生宗矩の『兵法家伝書』、沢庵の『不動智神妙録』、宮本武蔵の『五輪書』を指すが、『五輪書』が圧倒的に素晴らしいと、専門家は言う。

 
魚住孝至(2016/5)、宮本武蔵『五輪書』、NHKテキスト

2016年4月29日金曜日

(493)  「金色夜叉」「カラマーゾフの兄弟」


  参考 : 2016/04/27  BS朝日放映 「あらすじ名作劇場」

 
 「あらすじ名作劇場」で「金色夜叉」と「カラマーゾフの兄弟」を見た。
原文を読んでいないので、テレビで見た印象を述べるしかないが、二つは似ているという印象を受けた。

    事件
物語の展開

    人間模様
個としての人間、人と人の間に横たわるもの、
個々の人関係の相互作用、集団(人間関係のネットワーク)

    心の動き
   恋愛感情、喜怒哀楽、その他(正義感、価値観、…)
   個々人の心の動き、心の動きの相互作用
 
私は小説をあまり読まない。「二つは似ている」と言ったが、そもそも小説なるものは、この3要素を備えているのではないか。 さらに「この3要素がそろったものが小説だ」「この2作品は小説らしい小説だ」と思った。
ただ、「小説とは何か」議論を本格的に始めると、どうだろうか。「あなたは小説をそう定義したのね」と軽く流してください。


 「金色夜叉」は、「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」という科白が有名で、わたしはこれしか知らなかった。てっきり最後に出てくるのかと思い込んでいたが、ごく最初の方に出てきて、この後本格的にストーリが進んでいく。
途中で作者(尾崎紅葉)が死んでしまい、未完だそうだ。

あらすじについては、例えば、

 
 「カラマーゾフの兄弟」は、長いカタカナ名人物がたくさん出てきて、ややこしく、完読した人は素晴らしい、と聞いたが、そうだろうなと思った。
これもまた、続編の構想があったが、作者(フョードル・ドストエフスキー)が死んでしまい、未完だそうだ。

あらすじについては、例えば、

 「あらすじ名作劇場」では、短い日本人名に直して、コンパクトに話をまとめていたが、それでも最後には、頭がゴチャゴチャになった。やはり、私は、小説は苦手のようである。今の私には、手に負えそうにない。

 

 でも、小説は、読む人の人生を豊かにしてくれるというのは、確かだと思う。私自身の人生は一回きりだが、小説を通じてたくさんの人生を追体験させてくれる。しかもその小説をどう読み、どう解釈し、そこから何を受け取るかは、読者にゆだねられている。

「事件」「人間模様」「心の動き」に注目しながら、読みやすい小説を少しずつでも読んでいこうかなと思った。小説の読み方としては邪道かもしれないが、小説は、どんな読み方をされても、許してくれるのではないだろうか。

 
BS朝日放映の「あらすじ名作劇場」。
次回は、【54日(水)22:00 – 23:00
「トム・ソーヤの冒険」「銀河鉄道の夜」

(492)  第5期市民後見人養成研修における体験談


 
 第5期市民後見人養成研修(神戸市社会福祉協議会)において、市民後見人としての体験談を話した。「わかりやすかった」と好評だった。  
 
 口頭説明抜きでどこまで「わかりやすいか」は疑問だが、参考までにレジメを以下に示す。(個人が特定できないように、個人情報に配慮している)
 
===== レジメ はじめ
第5期市民後見人養成研修 資料 2016/04/28
私の体験から          第4期 藤波 進
 
1.受任に至るまで
(1) 問題意識から受講に至るまで
① もともと福祉の知識も、関心もなかった
② 介護保険制度を学んだ → 後見人制度というものがあるらしい
「高齢社会」は、他人事ではない。今よりもっとシビアになる
④ 私自身、施設で手厚く面倒をみてもらえることは期待できそうにない
⑤ 私自身、あるいは身近な人にとって大切なものを学べそう
⑥ 現実に即していて、内容もしっかりして、しかも無料
 
(2) 受講から受任に至るまで(何故、降りなかったか)
① 意味づけ(人それぞれだが、
   私の場合:恩、体験の場、介護され上手)
② 不安を超えて → 後述
 
(3) 手続き(打診・説明・被後見人面会・意思確認・調整会議…)
 
2.被後見人の紹介等、受任しているケース内容について
(1) 性別、年齢
(2) 住環境
(3) 家族親族関係
(4) 健康状態
(5) 経済状態
(6) 後見人を申請した経緯
 
3.受任後の活動内容(受任~現在までの活動歴)
(1) スケジュール
(2) 最初に
① 引継ぎ
② 銀行の名義替えなど
③ 被後見人と面会(受任前に会っている)
(3) 就任時報告書の作成(審判確定日より概ね1ヶ月以内)
① 家庭裁判所へ(後見事務報告書・財産目録・収支目録/予定表…)
② 後見監督人へ(預り証・フェイスシート・収支明細表・活動記録…)
(4) 県住から特養へ転居 … 特殊例
 ① 入所手続き  
 ② 県営住宅  
 ③ 住所変更届など
(5)  通常業務
 ① 身上監護 … 月に2回の訪問、関係者との連携、事務手続き
 ② 財産管理 … 私は、月々でまとめている
 ③  定期的な報告 … これは、まだ  
 
4.受講者の皆さんへのメッセージ
(1) 福祉のお仕事は「人」・「人」・「人」
   … ここが分かれ目
(2) 後見人になることを強制されることはありえない
  (自らの意志が先行)
(3) 後見人と後見監督人は、運命共同体である
(4) 不安があるのは当然
   …(後見人に)不安がないと(後見監督人は)不安
(5) 飛び込まないと不安は解消しない
  (自ら飛び込まないと先に進まない…(2)参照)
(6)「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)
   … 疑問・不安は、聞く 事前に摘む
(7) 資料の整理の仕方(ファイリング)に工夫を
(8) 面倒だけれど、こまめに記録をとると楽になる
(9) おいおい学んでいくとよいこと
① 傾聴
② 認知症
③ 生活保護の仕組み、など
 
以上
===== レジメ おわり
 

2016年4月28日木曜日

(491)  金子 みすゞ

 
 童謡集からどれを選ぶかは、その時の心の状態で変わりそうだ。

今、選ぶと(よく知られているのは、あえて外し)次の二つになった。

 

===== はじめ

 積もった雪

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしていて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせていて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面(ジベタ)もみえないで。

===== おわり

 

===== はじめ

 お日さん、雨さん

 

ほこりのついた

芝草を

雨さん洗って

くれました。

 

洗ってぬれた

芝草を

お日さんほして

くれました。

 

こうして私が

ねころんで

空をみるのに

よいように。

===== おわり

 

私だと「雪が積もっていた」「芝草の上で寝ころんだ」で終わってしまう。

 

「豊かさ」という言葉が浮かんだ

 

転載:
 金子 みすゞ(1998)、「金子 みすゞ 童謡集」、ハルキ文庫

2016年4月26日火曜日

(490) 「イワンのばか」


  参考 : 2016/04/20  BS朝日放映 「あらすじ名作劇場」
  前回とりあげた「スイミー」とともに紹介された。

 
 題名はよく覚えているが、内容は思い出せなかった。多分、ラジオの朗読で聞いたのだと思う。「お話出て来い、お話出て来い、お話出て来い、ドンドコドン」。これだけは、メロディー付きで、よく覚えている。

 
あらすじ、
=====

 強欲な兄弟の要求を、ばかなイワンが受け入れるので、諍いが起きない。

 悪魔は腹を立て、3匹の小悪魔を使って、兄弟に諍いを起こさせようとする。2人の兄弟は騙されて落ちぶれるが、ばかのイワンだけは、いくら悪魔が痛めても屈服せず、小悪魔たちを捕まえてしまう。小悪魔たちは、魔法をイワンに授け助けを求める。イワンが「良い奴だ」と思い「神のご加護があるように」と祈りつつ小悪魔を逃がしてやると、小悪魔は光った後消えてなくなった。

 無一文になって帰ってきた兄たちを養い、さらに、イワンは兄たちに要求されて(魔法で手に入れた)兵隊や金貨を渡してやる。兄たちはそれを元手にして、やがて王様になった。

 イワンは、住んでいる国の王女が難病になったとき、小悪魔からもらった木の根で助けたので、王女の婿になって王様になった。しかし「体を動かさないのは性に合わない」ので、ただ人民の先頭に立って以前と同じく畑仕事をした。

 その後、小悪魔を倒された大悪魔は、イワンの兄弟を誑かし再び破滅させたが、イワンの国では人民は皆ばかで、ただ働くだけなので悪魔に騙されない。イワンの国ではみんな衣食住は満ち足りており、金を見ても誰も欲しがらない。しまいに悪魔は「手で働くより、頭を使って働けば楽をして儲けることができる」と王や人民に演説するが、誰も悪魔を相手にしなかった。とうとう力尽きて、いなくなってしまった。

=====
(『イワンのばか』、wikipedia)を元にして、さらに短くした。

 
 人を困らせる「ばか」、人を怒らせる「ばか」はたくさんいるが、「イワンのばか」は、別種のようである。では、どのような「ばか」か、というと、特徴が三つあると思った。

 一つ目は、「所有欲がない」「損得勘定しない(できない)」
 二つ目は、「小賢しい知識をもたない」
 三つ目は、「戦わない」

 
この「ばか」は、やたら強く、周囲の人を幸せにする。

 
 背景にキリスト教があるのだろうが、次の部分が興味深かった。

イワンが「良い奴だ」と思い「神のご加護があるように」と祈りつつ小悪魔を逃がしてやると、小悪魔は光った後消えてなくなった。

 小悪魔は戦いに敗れて死んだのではない。光ったとは何か。私は「大往生」したのではないかと思った。でも「神のご加護により大往生する」というのは、妄想だろう。

 
BS朝日放映の「あらすじ名作劇場」。
次回は、明日【427日(水)22:00 – 23:00
「金色夜叉」「カラマーゾフの兄弟」の紹介