2024年11月4日月曜日

(2608)「Beingな生き方」と「Doingな生き方」

 ここで、

Beingな生き方」とは、「である」ことを重視した生き方であり、

Doingな生き方」とは、「をする」ことを重視した生き方です

 

 「Beingな生き方」としては、例えば

  お金持ちである

  会社の社長である

  街を歩くと皆が振り返る美人である

などです。「生活に困らない程度の金をもっている」「係長である」など控えめなこともあるし、「他人から尊敬される人格者である」というのもあります。なお「having」(持っている)もここに含めて考えています

 

 「doingな生き方」は、自分が意義あることをしているという思いです。行動、感情、思考、信仰を含みます

  (行動)具体的に体を動かす、社会貢献活動をする、など

  (感情)大自然の中で癒される、名画に感動する、親友と語らいほっこりする、など

  (思考)あれこれ考える、真理を知る、仕組みを知る、意見交換する、など

  (信仰)信仰心をもつ、孫の幸せを祈る、世界平和を祈る、など(信仰は、行動か感情か思考かのどれか一つに絞れません)

 

 「意義あることをしているという思い」において、「意義ある」は、自分の価値観に基づくものであり、他者の価値観は関係ありません。そのため、自分の価値観が確立していると他者の言葉でぶれることはなく、自分の価値観が確立していないと「doingな生き方」はできません。「確立している」は、「変わらないこと」とは違います。価値観は確固としていてかつ柔軟で、絶えず見直され、進化を止めません

 

 「Beingな生き方」と「Doingに生き方」には優劣がなく、「どちらが正しいか」ではなく「貴方はどちらを選びますか」であり、どちらにするかは、本人が決めます。自分で決めて、自分がその責任を負います

 

 どちらを選んでも、それにより得られるものと、結果として失われるものがあります。失われたものに囚われ、不平を言ってはいけません。失うことを受け容れましょう。

 また、反対の生き方をしている人を羨んではいけません。非難してもいけません。誰もが自由意志で選べます。

 

 両方を選ぼうとするのも自由ですが、おそらく生き方に矛盾ができて、生き方がぶれて、結果としてどちらも失うことになるでしょう。どちらも選ばないと、自分が生きている価値を見失うのではないでしょうか 

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