2021年10月11日月曜日

(2479) 『ヘミングウェイ スペシャル』(2-2) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100de名著 】この小説は「キユーバに暮らしてスペイン語を話し、スペイン語でものを考える人たちがやっていることの英語訳」という設定の作品です。『老人と海』は、スペイン語世界を描くという意図のもとに書かれています。


第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル: 死闘から持ち帰った不屈の魂~『老人と海』②

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)  大物を仕留めたものの…

(2) 「考えるな、じいさん」

(3) 「いま」に集中する

(4)  意外に勝ちを重ねるサメとの闘い

(5)  なぜ諦めなかったのか

(6)  叩きつぶされても負けはしない

 

(7)  少年の存在とは

(8)  多文化小説としての『老人と海』

(9)  なぜキューバ人漁師なのか

(10)     偽装されたアメリカ批判

(11)     アフリカの夢

(12)     老人はヘミングウェイか

 

【展開】

【テキストの項目】

(1)  大物を仕留めたものの…

(2) 「考えるな、じいさん」

(3) 「いま」に集中する

(4)  意外に勝ちを重ねるサメとの闘い

(5)  なぜ諦めなかったのか

(6)  叩きつぶされても負けはしない

 以上は、既に書きました。

 

(7) 少年の存在とは

 マノーリンは、ひと昔前の「理想の奥さん」のような存在です。老人が必要なことを全部先回りしてやってくれる。餌のイワシは持ってきてくれるし、食事も運んでくれ、ビールももらってきてくれる。そういえば手を洗う水がなかった、石鹸ときれいなタオルもない、「どうしてぼくはこんなに気がきかないんだ?」と反省したりする。村人からは運のない少し偏屈なじいさんと思われているのに、マノーリンだけは老人のことを「最高の漁師」と言って尊敬し、彼がボロボロになって小屋に戻ってからも、まだ教わりたいことがたくさんあると言って認めてくれる。いわば老人の承認欲求をすべて満たしてくれる存在で、もうたまらないとしか言いようがありません。

 

(8) 多文化小説としての『老人と海』

 この小説は「キューバに暮らしてスペイン語を話し、スペイン語でものを考える人たちがやっていることの英語訳」という設定の作品です。『老人と海』は厳密にはスペイン語文学ではないのですが、スペイン語世界を描くという意図のもとに書かれています。

 キューバは、キューバ革命が起きるまで、長くアメリカの保護国だったり、その強い影響下にあったりしました。経済的にも軍事的にもアメリカの支配がおよび、アメリカからは“ほぼ自国の一部である保養地”のようにとらえられていた。ですから、当時のアメリカ人にとつてキューバ人は、ある意味で「見えない」存在だったと思います。そのキューバ人が、アメリカ人よりも偉大な精神性を体現する。実はこれが『老人と海』の世界なのです。

 

(9)  なぜキューバ人漁師なのか

 なぜ、ヘミングウェイはキューバ人の物語を書いたのでしょうか。老人はキューバ人ではなくアメリカ人でもよかったはずです。理由は複数あると思います。一つは、ヘミングウェイがスペインや中南米などスペイン語圏の文化に非常に惹かれていたということ。もう一つは、それと表裏の関係にあることですが、アメリカ的なものへの抵抗です。

 ヘミングウェイはキューバ人の中に、アングロサクソンの持っていない崇高な精神性と、アメリカの支配と闘う気骨のようなものを見ていたのではないかと思います。そこで彼は、アメリカ人からはある意味見下されていたキューバの人々が持つ精神性を、アメリカ人がわかるように英語に翻訳して書いたのです。

 

(10)     偽装されたアメリカ批判

 この作品におけるアメリカ批判というヘミングウェイの意図は巧みに偽装されています。アメリカ人の読者は「キューバの人たちも大リーグが好きなんだ」と喜んで読むでしょう。キューバ人の読者は老人と魚との闘いに注日し、「やっぱリキューバ人の漁師はすごい」と読むでしょう。この『老人と海』はうまくみんなが喜ぶようにできているのです。

 ですが、一歩踏み込んでそこにアメリカ批判というヘミングウェイの隠しテーマを読み取ったとき、我々読者は、現代アメリカ文学を代表すると言われるこの作品が、実はアメリカではない場所を舞台に、アメリカ人ではない人たちの生き様を描いたものであることの意味を、改めて考えさせられることになります。

 

(11)     アフリカの夢

 ヘミングウェイはアフリカのことを、人間が自然と一体化できる原初の土地、すなわち、あまりにも自然から離れてしまったアメリカ合衆国とは対極にある場所と考えていました。アフリカの人たちがこれを聞いたら反発するでしょうが、ヘミングウェイのロマンテイツクな幻想の中ではそうなっていたのです。

 ヘミングウェイの短編にはアフリカを舞台にしたものが複数あります。これらはいずれも、アフリカに行くことで開塞状態を突き抜け、悟りのようなものを得る話です。ヘミングウェイの中には、文明社会に暮らしているだけでは得ることができない、自分の無意識のようなものと一体化できる境地がアフリカにはある、という認識が強くあったのです。

 

(12)     老人はヘミングウェイか

 一点だけ、この老人とヘミングウェイには共通点があると僕は思っています。それは仕事における勤勉さです。私生活ではお世辞にも「きちんとした人」とは言えないヘミングウェイですが、小説を書くという仕事においては、彼はきわめて真面目でした。

 ヘミングウェイの猛烈な勤勉さは、『老人と海』の老人が、たとえ84日も魚が獲れなくても正しいやり方を毎日繰り返していたら長期的にはうまくいくに決まっていると確信していることと一致します。ヘミングウェイは、華やかで無頼派のように見える私生活の裏で、信念を胸にしっかりと生きる、“叩きつぶされても負けない”作家としての自分を、老人に重ね合わせていたのかもしれません。

 

<出典>

都甲幸治(2021/10)、『ヘミングウェイ スペシャル』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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