2021年8月29日日曜日

(2440) アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(4-2)

 【 読書 ・ 100de名著 】『戦争は女の顔をしていない』は、アレクシエーヴィチがジャーナリズムから出発して文学の領域へと足を踏み入れようとしたその瞬間に誕生した、証言文学の金字塔と言ってもいいのではないでしょうか


第4回  30日放送/ 91日再放送

  タイトル: 「感情の歴史」を描く

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)  歴史学と文学の違い

(2)  苦しみの言葉は時を超える

(3)  トラウマ ―― 終わらない戦争

(4)  共感=エンパシーの力

 

(5)  ドイツ人へのエンパシー

(6)  動物や自然への共感

(7) 「自由かパンか」

 

【展開】

(1)  歴史学と文学の違い

(2)  苦しみの言葉は時を超える

(3)  トラウマ ―― 終わらない戦争

(4)  共感=エンパシーの力

 以上は、既に書きました。

 

(5)  ドイツ人へのエンパシー

 共感する力を持っていたのは、作者であるアレクシエーヴィチだけではありませんでした。証言者たちもまた、他者の苦しみや悲しみへの共感力を持っていました。特に目を引くのが、「敵」であるドイツ兵に対する哀れみを感じている証言です。

 (証言)捕虜の中に一人の兵士がいた……。少年よ……。その兵士の眼が…手押し車だけを見てる。私のことなんか眼中になくて、手押し車だけを見てる。パンだ、パン……。私はパンを一個とって半分に割ってやり、それを兵士にあげた。その子は受け取った……。受け取ったけど、信じられないの……。信じられない……信じられないのよ。

 私は嬉しかった……憎むことができないということが嬉しかった。自分でも驚いたわ…

 

(6)  動物や自然への共感

 さらに、アレクシエーヴィチの著作には、証言者が人間だけでなく、自然にもエンパシーを感じていたことを感じさせる言葉も目立ちます。

 アレクシエーヴィチは、2016年に来日した際、福島県を訪れています。その後、東京外国語大学で行った講演で、彼女は「新しい哲学が必要だ」と語りました。

 「チェルノブイリやフクシマをまわって、人間は自然界における自分の位置を見直すべきだと悟りました。自分が自然界の主人だと考えることはやめるべきです。私自身の中にあったのは、人間の方が上だという優越感ではなく、動物の世界とつながっているという感覚です」

 

(7) 「自由かパンか」

 物質的な豊かさと自由のどちらを取るか、つまり「自由かパンか」という問題は、普遍的なものです。アレクシエーヴィチは、この問題に対して、こう言います。「人は常に選択しなければならない。苦悩をともなった自由か、それとも自由のない幸福か。そして大部分の人が後者の道を歩む」。実際、 … ペレストロイカで保障されたはずの言論の自由は、じわじわと締め付けられ、人々の萎縮が懸念されています。

 こうした状況に対し、東スラブのウクライナ、ロシア、ベラルーシでは、市民が主役になって自由を求める闘いが、現在進行形で続いています。アレクシエーヴィチが住んでいたベラルーシでは、2020年に行われた大統領選の不正疑惑をめぐり、 … 当局に拘束された夫の代わりに大統領選に立候補したスヴェトラーナ・チハノフスカヤを中心に「政権移譲調整評議会」が設立され、アレクシエーヴィチもこの評議会の幹部に名を連ねました。

 

<出典>

沼野恭子(2021/8)、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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