2021年8月14日土曜日

(2426) アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(2-2)

 【 読書 ・ 100de名著 】私が少尉に恋をしているって誰にも打ち明けたことはなかった。(中略)その少尉を埋葬したの… (中略)お別れが始まって言われたの、「まず、お前から」。(中略)それでみんなが知っていたことが分かった


第2回  16日放送/ 18日再放送

  タイトル: ジェンダーという戦争

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1) 「兄弟姉妹たちよ!」の呼びかけに応えて

(2)  銃を手に最前線で戦った女性たち

(3)  勇敢な兵士と良妻賢母、二つの顔

(4) 「身体の記憶」を書きとる

 

(5)  貫之とアレクシエーヴィチ

(6)  ハイヒールと銃弾

(7)  戦場で唯一私的な営み--恋愛

 

【展開】

(1) 「兄弟姉妹たちよ!」の呼びかけに応えて

(2)  銃を手に最前線で戦った女性たち

(3)  勇敢な兵士と良妻賢母、二つの顔

(4) 「身体の記憶」を書きとる

 以上は、既に書きました。

 

(5)  貫之とアレクシエーヴィチ

 『土佐日記』を書いたとき、紀貫之はわが子を亡くした悲しみの淵にいて、その悲しみを漢語では伝えられないので、仮名で書くことを選んだ、という解釈があります。女性が使う言葉は、私的で、感情表現に優れていると感じていたのでしょうか。漢字と仮名の間に、男言葉と女言葉、公式の言葉と個人的な感情表現という差があったとするなら、紀貫之とアレクシエーヴイチには、通じるものがあるのかもしれません。

 アレクシエーヴイチは、それまで周縁に置かれ、劣ったものであるとされてきた「女の語り」に、むしろ革新性と真実味があると感じたのでしょう。これは、欧米のフェミニズムの思想とも響き合うものがあると思います。

 

(6)  ハイヒールと銃弾

 ヴェ―ラ・ヨーシフォヴナ・ホレワ(外科医) 「前線に向かうときのこと……(中略)お店に飛び込んで、ハイヒールを買ったのを憶えてます。 …なぜかハイヒールが買いたくなった。(中略)とてもエレガントなハイヒールだった。香水も買つたの。」

 タマーラ・イラリオノヴナ・ダヴィドヴィチ 軍曹(運転手) 「春のことで射撃訓練が終わって、戻る時。スミレの花をたくさん摘んで小さな花束にして、銃剣につけて帰った。(中略)花束をライフルに結びつけたのを忘れたままでした。」

 ハイヒールと銃弾。スミレの花束とライフル。相反するように思えるものが、彼女たちの戦場の記憶には同居しています。

 

(7)  戦場で唯一私的な営み--恋愛

 『戦争は女の顔をしていない』には、恋愛についての証言だけを集めた章があります。その証言の一つひとつがかけがえのない記憶であり、それぞれが一編の小説になりそうな話ばかりです。 … アレクシエーヴイチは「恋は戦時中で唯一の個人的な出来事」「誰もが恋愛については死についてほど率直に語りたがらなかった」と書いています。

 恋愛とは、極めて私的な営みです。軍隊という集団主義的な組織の中にあって、そうした私的な営為は、集団の規律を破る力、価値観を持っています。恋愛やセックスは、極めて無防備なもので、最も戦争に向いていない、個と個の結びつきです。大きな理念やイデオロギーが作用している戦争という強烈な磁場にあって、女たちは個人の恋愛という小さな、些細な感情を大切にしていました。

 

<出典>

沼野恭子(2021/8)、アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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