2021年7月27日火曜日

(2407) 五輪中止 論の 蓮舫 氏の発言に対する「強烈な」違和感

 【五輪中止・蓮舫】「東京都のみならず日本全体の(新型コロナウイルスの)感染拡大の下、五輪を開催するのは止めるべきだ」と開催に強く反対していた蓮舫氏が、堀米雄斗選手の金メダルに「素晴らしいです! ワクワクしました!」と投稿


===== 引用はじめ (抜粋)

 立憲民主党の蓮舫代表代行は25日付のツイッターで、東京五輪・パラリンピックの中止を求めていたにも関わらず、開幕後は出場選手の健闘をたたえていることについて「開催そのものへの反対は変わらない。国民を守る危機管理の問題だからだ」と強調した。

===== 引用おわり

五輪中止論の蓮舫氏「反対なら応援するな、ではない」

 

記事によれば、

===== 引用はじめ

 蓮舫氏は21日付のツイッターで「東京都のみならず日本全体の(新型コロナウイルスの)感染拡大の下、五輪を開催するのは止めるべきだ」と開催に強く反対していた。ただ、五輪開幕後の25日はスケートボード男子ストリートで堀米雄斗選手が金メダルを獲得すると「素晴らしいです! ワクワクしました! 」と投稿し、自身の主張の矛盾がインターネット上で指摘されていた。

===== 引用おわり

 私は蓮舫氏発言に違和感を覚えるが、発言に矛盾があるからではありません。整理してみました。

 

 おおよそ何かを実行すると、「狙った良いこと」だけではなく「意図しない悪いこと」も起ります。共に、その行為によって引き起こされるものなので、行為者は両方に責任を負います。どちらを選んでも悪いことは起こってしまうので、なんらかの悪いことが起こっても、選択が間違っていたとは一概に言えません。意見が分かれるときは必ず「意図しない悪いこと」が起こります。何故なら、起こらないなら意見が分かれないからです。

 蓮舫氏の主張に沿えば、「オリンピック開催によるコロナリスクを無くす」が「狙った良いこと」になります。「意図しない悪いこと」としては、「オリンピックに参加できなくなった選手の失望、オリンピックを楽しみにしていた人々の落胆、経済的損失、他都市を差し置いて開催権を担ったものとしての責務の放棄と国際的信用の失墜」など、いろいろ想定されます。

 

 オリンピックを推進している方々は、コロナによる被害を最小限にしようと必死に努力しており、それでもおそらくコロナ被害が皆無というわけにはいかず、そのリスクと責任を全部背負っています。つまり「意図しない悪いこと」を背負っています。

 一方、蓮舫氏は「選手の活躍には心から敬意を表する。反対なら応援するな、ではない」と言い放ち、私の主張は「狙った良いこと」をしているので正しく、「意図しない悪いこと」は別物なので私には関係ない ~ と居直っているように見えます。

 自分の主張から発生する「意図しない悪いこと」の改善に努め、そこにも責任を取る ~それをしないのなら、政治家としても経営者としても失格だと思います。政治家としての根本的な資質を欠いているにもかかわらず、そのことに全く気付いていないのではないでしょうか。

 

 もう一つ気になるのは、人の痛みに無頓着だということです。アスリートたちは悪者扱いにされ、心が揺れながらも、黙々と練習に励んで、今日を迎えました。その痛みを蓮舫氏はわがものとしていないので、無神経な発言を堂々とできるのではいか思いました。

 「素晴らしいです! ワクワクしました! 」。本当だろうか? 心ならずも起こってしまったオリンピック機運に、ちゃっかり自分も乗ろうとしているだけではないか。ただ、自分のイメージアップだけを考えての発言にクレームが出て、反撃している、それだけ。あるいは、取り残されたくないのか。

 蓮舫氏は選手たちと心が一つになっていません。選手たちを失望のどん底に追い込もうとした張本人です(オリンピック開催反対論者だから蓮舫氏は良くないと言っているのではありません。念のため。たとえ嫌われても、政治家として正しいと思うことは言わねばなりません)。そこに自らの痛みを感じないところに、政治家としてというより、人間としてどうなのだろうかと疑問を感じます。

 


 嬉しい、元気になる、応援したくなるオリンピックニュースが多く報道される中で、数少ない不快なニュースでした。

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