2021年6月4日金曜日

(2354) レイ・ブラッドベリ『 華氏451度 』(2-1) / 100分de名著

 【 読書 ・ 100分de名著 】『国家』第七巻に登場するプラトンの「 洞窟の比喩 」は、寓話として『華氏451度』を読み解く際に役立つ原型的な物語です。洞窟の比喩はおもしろいくらいこの 教養小説 (モンターグの成長物語)に当てはまります。


第2回  7日放送/ 9日再放送

  タイトル: 本の中には何がある?

 

【テキストの項目】

(1) プラトンの「洞窟の比喩」

(2) クラリスのレッスン②--洞窟の外はどんな味?

(3) クラリスのレッスン③--社会のあるべき姿とは

(4) 二人目の教師--おばあさん

 

(5) バラバラな体、バラバラな自分

(6) 答えは本の中にある?

(7) 記憶と文脈の欠落

(8) 消費者という機械になりはてた身体

 

【展開】

(1) プラトンの「洞窟の比喩」

 洞窟の奥に閉じ込められている囚人たち。彼らは生まれてからずっと縛られていて、そこから動くことも、首をめぐらせて自分の背後を見ることもできない。洞窟の突き当たりの壁だけしか見ることができない。囚人たちのうしろには火が燃えていて、彼らを背後から照らしている。火と囚人たちの間には通路があり、そこをさまざまな道具や像などが運ばれていく。囚人たちはそれらのものが奥の壁に落とす影しか見ることができない。運ばれている実物は見えないので、影がこの世の真のありさま、実体だと思い込んでいる。

 この囚人たちが特殊なひとびとなのではなく、われわれはみんな洞窟に閉じ込められた囚人のようなものだ。つまり、洞窟の比喩は人間が置かれた普遍的状況のたとえなのです。

 

(2) クラリスのレッスン②--洞窟の外はどんな味?

 クラリスによるモンターグヘのレッスンが描かれているのは都合三回。前回の初対面がレッスン①だとすると、今回はレッスン②です。場面は午後遅くで、雨が降っています。モンターグは出勤途中、クラリスは精神科医のカウンセリングを受けにいくところです。クラリスは顔に雨を受けて雨粒を舐め、「雨って、けっこうおいしいのよ」と言います。手にはタンポポを持っていて、これで顎をこすって花粉がついたら恋をしている、つかなかったら恋をしていない、などと他愛のない恋占いで遊んでみたりもします。ミルドレッドの楽しみとの違いが際立ちますね。クラリスの遊びは消費ではない。彼女は、商品ではない自然物から楽しみを引き出すことができるのです。

 

(3) クラリスのレッスン③--社会のあるべき姿とは

 この日以降、モンターグは毎日出勤時にクラリスと会うようになります。あるとき、クラリスが珍しく自分の意見を主張しました。これがレッスン③です。

 モンターグに学校に行っているのかと聞かれ、行かなくても誰も何も言わないと答えるクラリス。彼女は、自分は「人と混ざらない」から「非社交的」だと言われるが、自分こそが社交的だ、なぜなら人と意味のある対話をしようとするからだ、と主張します。「社交的」は社会的と訳してもいいかもしれません。クラリスによれば、学校のように人をただ一か所に集め、話もさせず一方的に授業を聞かせるようなところは社会とは言えないのです。

 社会全体が「意味のある対話」をしていないとクラリスは考えています。

 

(4) 二人目の教師--おばあさん

 隣人からの通報に従って屋根裏に駆け上がったファイアマンたちは、そこに大量の本を発見します。動じないおばあさんを無視するかのように、彼らは次々と本を階下に投げ落としてケロシンをかけ、燃やそうとしました。ベイティーが家から出ろと言っても彼女は本から離れようとしません。モンターグはおばあさん腕をとって「おいでなさい」と促し、しまいには「お願いだから」と懇願するのですが、それでも彼女は動かない。そして手に持っていたマッチを男たちに見せます。おばあさんは「行って」と言う。家から逃げ出す男たち。とうとう彼女は自らマッチをすり、本とともに焼け死んでしまいます。

 

 以下は、後に書きます。

(5) バラバラな体、バラバラな自分

(6) 答えは本の中にある?

(7) 記憶と文脈の欠落

(8) 消費者という機械になりはてた身体

 

<出典>

戸田山和久(2021/6)、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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