2021年5月1日土曜日

(2321)  三島由紀夫『金閣寺』(1-2) / 100分de名著

 

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私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鳩がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、…

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第1回  3日放送/ 5日再放送

  タイトル: 美と劣等感のはざまで

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

【テキストの項目】

(1)   戦後社会への接続を目指して

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

(3)   主人公が抱えた疎外感

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 

(7)   女の顔と「切株」

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

(10) 金閣との「共滅願望」

(11) 頻出する「のぞき」の場面

(12) 現実感覚を持った母の野心

(13) 金閣が象徴するもの

 

【展開】

 

(1)   戦後社会への接続を目指して

(2)  「絶対性を滅ぼす」という主題

(3)   主人公が抱えた疎外感

(4)   父に植え付けられた<心象の金閣>

(5)   なぜ一人称告白体で書いたのか

(6)   ソナタ形式を持つ作品

 以上は、すでに書きました。

 

(7)   女の顔と「切株」

 有為子が死を前にした時に最も美しくなったという記述があります。 ―― そういうふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色を帯びていても、成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかった風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。

 ここでは女性が死の前に見せる悲壮な美しさが木の切株に喩えられている。およそ似ても似つかないものなのに、いざ取り合わせて差し出されると、何だかよく分かる。

 

(8)  「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」

 金閣を実際に見てみると、あまりきれいではなかったことにショックを受けます。「美というものは、こんなに美しくないものだろうか」という絶妙な逆説で表現することで、溝口が体験した拍子抜けするようなモーメントを重要な場面にすることに、三島は成功しています。

 亡くなった父の遺言で徒弟になった溝口は、金閣に話しかけます。「私の心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ」。これは言い換えれば、私の内なる世界よりも、現実の方が価値あるものであってくれ、ということでしょう。

 

(9)   理想的な友人、鶴川の登場

 溝口に、初めて友と呼べる存在が現れます。東京の裕福な寺の息子で、同じく金閣寺の徒弟としてやってきた鶴川という少年です。内面と外界の分離という問題を抱えている溝口に対し、鶴川は素直でナイーブな心を持ち、その心のままに生きているように見える存在です。

 鶴川は吃音をからかわない ― 「なんで」。私はそう詰問した。同情よりも、嘲笑や侮蔑のほうがずっと私の気に入ることは、再々述べたとおりである。鶴川はえもいわれぬやさしい微笑をうかべた。そしてこう言った。「だって僕、そんなことはちっとも気にならない性質なんだよ」

 

(10) 金閣との「共滅願望」

 戦火による金閣焼失が現実味を帯びてくると、現実の金閣がだんだん美しく見えてきたというのです。 … 焼き滅ぼされるという点に於いては自分と金閣は同じ世界に属していると気づくのです。そして、滅びの前にその美しさを増し、美の絶頂に上り詰めようとしている金閣と自分とが一体化する可能性を初めて感じるわけです。

 自分を疎外していた社会との一体感をも感じる。僕(=解説者)は「共滅願望」という言葉で呼んでいますが、自分と、社会と、絶対的な美が共に滅ぶ中で、初めて一体感を得られる。

 

(11) 頻出する「のぞき」の場面

 溝回は強烈にエロティックなシーンに遭遇します。 … 女は男のために茶を淹れますが、男は飲もうとしない。すると驚いたことに、美しい長振袖姿の女は着物をはだけて胸を露わにし、その乳房から白い乳を茶に注いだのです。男はそれを飲み干しました。

 三島の小説には、「のぞき」というモチーフが頻繁に出てきます。三島の中には、社会一般に信じられている世界の背後に、語られていない世界がもう一つあるというある種の二元論的な思想があり、小説家としてそれをのぞき見る、あるいは認識するという態度が出てきます。

 

(12) 現実感覚を持った母の野心

 ここまであまり存在感のなかった溝口の母が、このあたりから小説に登場し、「先はもう、ここの金閣寺の住職様になるほかないのやぜ。」と諭します。

 彼にとっての金閣は出世していくための道具などではなく、彼はあくまで父親から受け継いだ、この世にないほど美しいという金閣観にとらわれています。ですから、母親が言うような形で金閣と関わっていくことは賛同できない。しかし、母親の思わぬ野心に触れ、金閣が自分のものになるという可能性がゼロではないことも、この時自覚しました。

 

(13) 金閣が象徴するもの

 人は社会から疎外されていると感じた時、自分の心を支える存在を求めます。『金閣寺』の主人公の場合、奇妙なことに、それが金閣寺なのです。溝口個人の拠りどころであったはずの金閣が、戦時中に非常に大きな存在へと変貌していく。

 三島は戦争中に天皇を通じて絶対者という存在を経験していて、その絶対者を金閣に仮託して書いた、と読むと、空襲による滅亡(或いは玉砕)や、絶対者との一体感といった溝口の心象が、より理解しやすくなると思います。

 

 

<出典>

平野啓一郎(2021/5)、三島由紀夫『金閣寺』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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