2021年4月13日火曜日

(2302)  (2)ステレオタイプ・固定観念 / 差別を考える

 

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「性差別だ」と怒り出した方が、「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念を持っているのである。つまり、この場合、非難された人ではなく、非難した人に「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念があるのだ

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===== 引用はじめ

 回答ではリケジョ(理系女子)はあるのにリケダンという言葉がないのは「女性は理系科目が苦手」という「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念があることを指摘しています。

===== 引用おわり

 

 「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」と「女性は理科科目が苦手だ」「女性が育児を担う」「女性は料理が上手だ」とは異なる。これを、混同するときに、「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念が生まれる。

 両者を同一視する人がいたとする。すると、その人が「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」と聞くと、その人の頭の中では、「女性は理科科目が苦手だ」「女性が育児を担う」「女性は料理が上手だ」と聞いたことと同じになる。そして、「性差別だ」と怒り出す。怒り出すのは、その人にとっては自然なことであるが、言われた方は、たまったものではない。

 なぜなら、「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念を持っているのは、「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」と言った人側にはない。「性差別だ」と怒り出した方が、「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念を持っているのである。つまり、非難された人ではなく、非難した人に「ジェンダー・ステレオタイプ」、固定観念があるのだ。

 このようなことが、しばしばある。

 「女性は理科科目が苦手だ」「女性が育児を担う」「女性は料理が上手だ」だと決めつけている人に「性差別がある」というのは正当である。「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」と言う人に「性差別がある」というのは不当である。

 仮に「理科科目が苦手な女性が多い」という事実が無ければ、リケジョ(理系女子)という言葉は、そもそも生まれないだろう。

 「理科科目が苦手な女性が多い」ということは、「理科科目が得意な女性もいる」ということを含意している。論理的には、何の問題も無い。

 「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」を「女性は理科科目が苦手だ」「女性が育児を担う」「女性は料理が上手だ」と解釈してしまう所に問題がある。あるいは、「理科科目が苦手な女性が多い」「育児を担う女性が多い」「料理が上手な女性が多い」のだから「女性は理科科目を専攻すべきでない」「育児は女性が担うべきだ」「女性だから料理せよ」と発想する人がいたら、その人に対して「性差別がある」というのはもっともなことだ。

 濡れ衣が横行していることを、私は憂いている。誰かを非難するために濡れ衣をきせるようなことが多く起こっている。これは、おかしい。

 そもそも、疑問に感じる。「リケジョ」と言われた本人は、不愉快なのだろうか、嫌なのだろうか。「多くの」リケジョは、そう呼ばれることに抵抗感はないのではないだろうか。「性差別」被害を受けているのは、誰なのだろうか?

 

<出典>

これはおかしいと思うことから

【ビブリオエッセー】 産経新聞(2021/04/05 )

https://www.sankei.com/smp/life/news/210409/lif2104090027-s1.html

 

添付写真は、

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https://www.rikejo.jp/article/19409



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