2021年3月5日金曜日

(2262)  『100分de災害を考える』(2-1) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1403) 「移動ほけん室」(車内で一度に医療・介護の相談を) <体の健康><介護>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/03/k1403.html

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災害は、容赦なく人命を奪う。すぐ傍にいるように感じているのに、その姿を見ることも、声を聞くことも、手を伸ばしてふれることもできない。大事な人が亡くなるということは、遺された者たちの世界を一変させます

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第2回  8日放送/ 10日再放送

  タイトル: 柳田国生『先祖の話』--「死者」とのつながり

 

 

【テキストの項目】

(1)   非常時に照らされた道

(2)   柳田国男の死者論

(3)  「常民」の死生観

(4)  「御先祖になる」と語る男

 

(5)   祭りと「じいさんばあさん」

(6)   死者を墓に閉じ込めてはいけない

(7)   ホトケと先祖

(8)   言葉にならないコトバを聞く

(9)   死者とともに歩む未来

 

【展開】

 東日本大震災では多くの人命が失われ、同時に多くの遺族を生みました。遺族の悲しみと苦しみを大きくしているのは、近代化の波が書き換えてきた「死者」とのつながりのありようだと思います。古くから、日本には生者と亡くなった人たちとのあいだに豊かなつながりがありました。柳田国男の死者論である『先祖の話』は、そのことに目を開かせてくれます。

 

(1)   非常時に照らされた道

 東日本大震災では、震災が強いた生活の困難もさることながら、大事な人を喪ったという事実が、被災した方々の苦しみをより深くしました。

 あの震災後、語られたことの多くは、大事な人の「不在」という現実とどう折り合いをつけるかであり、遺族が感じている不可視な「存在」について語り得た思想家は、少数の例外だけだったと思います。「死」について論じてはいても、「死者」への論及はほとんど見られなかった。

 柳田国男の『先祖の話』という本は、亡くなった人と一緒に明日を作ることができると私(=解説者、若松英輔。以下同じ)に教えてくれました。それは、日本に古くからある伝統的な世界観だと柳田はいいます。その世界観には、とても豊かな「死者とのつながり」が育まれていました。

 

(2)   柳田国男の死者論

 仕事で地方を訪れるうちに彼の関心を惹いのが、各地に残る伝承や風習でした。柳田は独自の取材調査を地道に重ね、やがて日本に民俗学の礎を築いていきます。

 題名は穏やかですが、『先祖の話』の本質は死者論です。自身も生命の危険にさらされるなか、戦争で死にゆく人びと――ことに若い人たち――と遺族の悲しみを感じながら、柳田は日本の歴史に息づく死者の伝統に分け入り、死者の実在を明示しようとしたのです。

 大震災のとき人びとの心を占めていたのは、「口にすることをさえ畏れていた死後の世界、霊魂はあるか無いかの疑間、さては生者のこれに対する心の奥の感じと考え方」ではなかったでしょうか。『先祖の話』は、これらの問題を真正面から語り得た無二の書だと私は思います。

 

(3)  「常民」の死生観

 『先祖の話』の文章を通して柳田が私たちに伝えようとしたこと、それは「常民の常識」です。

 常民とは、市井に生きる普通の人びとのことです。常識の「常」は、過ぎゆかないことを意味します。つまり「常民の常識」とは、儚く過ぎゆく無常の世にあって、変わることなく全身全霊で実感されてきたことといってもよいかもしれません。なかでも柳田が注目したのが、「我々が百千年の久しきにわたって、積み重ねて来た」死生観でした。

 日本では、「顕界」の生者と「幽界」の死者との行き来が繁く、どちらかが願いさえすれば、往来は叶うものと考えられてきたというのです。常民の常識にとって、「先祖」とは生者の記憶のなかだけに存在するものではなく、目には顕かに見えずとも、つねに生者と交わり、より深く生者の心に寄り添い続ける「生きている死者」なのです。

 

(4)  「御先祖になる」と語る男

 バス停でたまたま一緒になったというその人は、母親も安らかに見送り、今は楽に暮らしていると言う。だから、六人の子どもにそれぞれの家を建てて、自分はその「六軒の一族の御先祖になる」のだと、うれしそうに話してくれた、と柳田は回想しています。

 彼は、死後に子どもたちを支えていく方策を具体的に考え、いわば死後の事業を計画している。それを「御先祖になる」という言葉で表現し、今後の楽しみにしているのです。

 多くの生者もまた、先祖という「生きている死者」に支えられ、守られていることを肌に感じながら日々の暮らしを営んできました。先祖たちは、死者でありつつ、同時に実りの神と呼ぶべき存在ではなかったか、というのです。

 

 以下は、後に書きます。

(5)   祭りと「じいさんばあさん」

(6)   死者を墓に閉じ込めてはいけない

(7)   ホトケと先祖

(8)   言葉にならないコトバを聞く

(9)   死者とともに歩む未来

 

<出典>

若松英輔(2021/3)、『100de災害を考える』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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