2020年10月3日土曜日

(2111)  谷崎潤一郎スペシャル(1-2) / 100分de名著

◆ 最新投稿情報

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(K1252) (異食)よくわからないけどおいしそう(1) / 認知症の人の不可解な行動(37) <認知症>

http://kagayakiken.blogspot.com/2020/10/k1252137.html

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☆☆

自分ひとりでは、自己認識できない。模範的なサラリーマンで、「君子」と呼ばれるほど真面目で凡庸だった譲治という男が、ナオミという女性と出会い、自分変態性を自覚し、自分自身も変容していく物語ともいえます

☆☆

 

第1回  5日放送/ 7日再放送

  タイトル: 『痴人の愛』- エロティシズムを凝視する

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

1.    モダンボーイとしての谷崎

2.    浅草、カフェ、少女

3.    少女を自分好みに育てる

4.    屈折した西洋へのあこがれ

 

5.    コンプレックスを善用する?

6.    五感を駆使した鑑賞と表現

7.    ナオミ変奏曲

8.   「回心」の物語として

 

【展開】

1.    モダンボーイとしての谷崎

2.    浅草、カフェ、少女

3.    少女を自分好みに育てる

4.   屈折した西洋へのあこがれ

以上は、既に書きました。

 

5.    コンプレックスを善用する?

 白人コンプレックスゆえに、日本人にしてはバタ臭い、表層的に西洋人まがいのナオミに魅了され、贅の限りを尽くして機嫌を取り続けて、譲治は幸福も感じます。しかしながら、ナオミの本質である浅薄さ、どうしようもない蓮っ葉さに、しだいに嫌気がさし、いちどは追い出すのです。ところが追い出していっときも経たないうちに「戻ってきてくれ」と完全な奴隷状態になります。この展開は、コンプレックスにとことんまみれることで、そのこと自体から快楽を引き出していくという、谷崎らしい逆転の発想が生かされます。

 コンプレックスの善用――コンプレックスを抱きながらも、安易な差別やヘイトに向かわない健全さ、ひねくれ方の清々しさに感動します。

 

6.    五感を駆使した鑑賞と表現

 いざ女性の身体、とりわけナオミという独特の魅力をともなった女性の肉体に関しては、ほとんど「秘教的」なまでに細密な描写がなされることに注目してみたいと思います。

 譲治はその表面を見すぎて、触りすぎて、深みにはまっていく。ほとんど自他の区別すらもつかない境地に陥っていくのです。視覚のみならず、触覚、嗅覚、聴覚、味覚と五感をすべて駆使して相手を鑑賞し、エロティシズムや官能に結び付ける。

 

7.    ナオミ変奏曲

 十五歳の女との出会いから、関係の深まりが描かれ、さらに主従の力学か微妙にバリエーションをもって描き分けられる点に、この小説の本当のよさが表れます。私は、これを「ナオミ変奏曲」と呼びたいと思います。女を屈服させるための物語ではないところが、フェアであり、時代の風潮を越えているともいえます。

 ある日予定より早く帰ってみると、ナオミの姿がない。おかみさんなどに事情を訊くとどうも浜田と熊谷とともに遊びまわっていたことがわかる。浮気を疑って行方を捜すと、案の定三人でいるわけです。酔って醜態をさらし、黒マントの下には何も着ていないナオミの姿にさすがに譲治は怒りをぶつける。そして彼女の不貞が露見するのです。

 

8.   「回心」の物語として

 動かぬ証拠を押さえたところで激昂する。 「出て行け!」

 出て行けと口にはしながら、ある種の宗教体験のように、ナオミの美しさに屈服する。嫉妬に苦しみ、怒りに襲われ、失望も感じながら、いつしか感情の変化が起きて、人の規範を超えたナオミの美に辿り着いていく。当時の文学的手法でいうところの、「意識の流れ」を、谷崎は描き出します。

 彼らがよりを戻すことは、どんな読者でも予想がつくはずです。

 一見、宗教とはほど遠いように感じますが、ここには一種の「回心」の体験が描かれている。通俗的な物語でありながら、ナオミというメディアを通じて自己認識を深めていった譲治という男の、心の変容の記録、ひいては「私」の記録となっているので、読者はカタルシスを得られるのだと結論づけていいかもしれません。

 

<出典>

島田雅彦(2020/10)、谷崎潤一郎スペシャル、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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