2020年6月6日土曜日

(1992)  カント『純粋理性批判』(2-2) / 100分de名著


◆ 最新投稿情報
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(K1133)  自分が認知症と診断されたら / 高見国生さんからのメッセージ(3) <認知症>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/06/k1133-3.html
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「ア・プリオリな総合判断」の原則から「外延量の原則」と「因果律の原則」。「純粋感覚」と「超越論的哲学」。「思考の暴走を説明する」の準備。「感性」「直観」「悟性」「概念」は終わって、次回は「理性」へ
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第2回  8日放送/ 10日再放送
  タイトル: 科学の知は、なぜ共有できるのか

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25

【テキストの項目】
(1)   悟性がもつ働き
(2)   経験概念と純粋概念
(3)   悟性がア・ブリオリに備える「カテゴリー」
(4)   無意識に行っている判断の原則
(5)  「ア・プリオリな総合判断」とは何か
(6)   純粋な悟性の原則

(7)   数の概念はどうやって生まれるか
(8)   すべての直観は外延量である
(9)   自然科学を基礎づける原則
(10) すべては「私の体験」として
(11)「超越論的哲学」の最終目的


【展開】
(1)     悟性がもつ働き
(2)   経験概念と純粋概念
(3)   悟性がア・ブリオリに備える「カテゴリー」
(4)   無意識に行っている判断の原則
(5)  「ア・プリオリな総合判断」とは何か
(6)   純粋な悟性の原則
以上については、既に書きました。

(7)   数の概念はどうやって生まれるか
 量のカテゴリーだけでは数の概念は生じない、とカントは考えます。量という思考のカテゴリーに、空間と時間の直観が結びつくことによって、数が生まれます。ホワイトボードのような平面を想像してみてください。
そこに直径3センチメートルくらいの黒丸を描きます。これを単一性のカテゴリーにもとづいて「黒丸が1つある」と判断します。
次に、もうひとつ同じ大きさの黒丸を描きます。先ほどの黒丸と同時に眺めて「黒丸が2つある」。数多性(いくつか)のカテゴリーです。
こうして、黒丸を継続的に加えていくと、1、2、3…となって、数の概念が出てくることになります。
黒丸を3つ描く。さらに2つ描く。最初から全部数えきる。このような作業によって、5が答えとして出てきます。足し算をしています。
 こうして数の概念が生まれるためには、ます「空間」が必要であり、かつ、継続的に加えていくのですから、そのつどの経験を「時間」的にまとめていく(総合する)ことが必要となります。空間・時間の直観がないと数の概念は生まれない、ということかハッキリしました。文化の違いに関わらず、「いつ・どこで・だれが」やっても同じ結果となるわけです。算術(計算)は「ア・プリオリな総合命題」として成り立つことがわかります。

(8)   すべての直観は外延量である
 「ア・プリオリな総合判断」の原則のうち「外延量の原則」(「直観の公理」)=「すべての直観は外延量である」「空間・時間のなかで直観されるあらゆる対象は、すべて大きさをもつ」「空間のなかで直観されるものは一定の大きさをもち、計測することかできる」。幾何学を基礎づける。
 外延量とは、「長さ」「面積」「体積」のような空間における大きさのことです。これらは、足したり分割したりできますし、さらに単位を決めればその数(いくつ分)でもって測ることができます。数学の世界はどこかに客観的にあるのではなく、人間の認識能力である感性(直観)と悟性(カテゴリー)とが結びつくことによって可能になります。

(9)   自然科学を基礎づける原則
 「ア・プリオリな総合判断」の原則のうち「因果律の原則」=「あらゆる変化は、原因と結果を結びつける法則に従って生じる」という原則。科学の基礎づけに不可欠。
 Bが原因でAが生起した、と提えるとき、それは私がただこの二つを次々に把握したという主観的なことではなく、この二つに必然的なつながりがある、つまり客観的に生じたこととみなしているはずだ、というのです。原因・結果のカテゴリーと時間の結びつきで生まれる因果律の原則は、主観のなかにありますが、人間が経験する現象をあらかじめ形づくっているのですから、その意味では客観的なものと言えます。
 「ア・プリオリな総合判断」の原則のうち「実体持続の原則」=「現象がどれほど変化しても実体は持続しつづけ、その量は不変である」という原則。これは、「質量保存の法則」のカント版
 「ア・プリオリな総合判断」の原則のうち「相互性の原則」=「同時に存在するすべての実体は相互に作用している」という原則。これは、「万有引力の法則」のカント版。
 カントが当時の科学的知見を深く学び、その正当性を証明しようと腐心していたことがわかります。

(10) すべては「私の体験」として
 認識したことや心に思い描いた事柄すべてを、「私が」したこととしてまとめている。この働きを純粋統覚と呼びます。そして、純粋統覚は、知覚や経験を「まとめる」カですから、認識する働きの核であるといっても過言ではありません。
私たちは、花びらや茎といったパーツの印象を「まとめる」ことで、対象を花と認識しています。
また、二つの事象を「まとめる」ことで因果を見いだし、「〇〇によって…が起こった」と判断しています。
ものを数えるという行為も、単位を「まとめる」ことにほかなりません。
 また、この統覚の働きがあるからこそ、「恒常的な自分がある」という自己の意識が生まれてきます。多様な認識をなしながらも、「同じ私がある」という意識を私たちは保っています。こうして、統覚の働きは、対象認識と自己認識の両方につながっていることがわかります。

(11)「超越論的哲学」の最終目的
 カントが問うたのは、私たちが日常生活では意識することのない認識の仕組みです。そしてそこには、経験に拠ることのない、ア・プリオリな共通規格があると主張しました。このように、認識のア・プリオリな構造を追究する思索の体系を、カントは「超越論的」哲学と呼んでいます。

 『純粋理性批判』の目次は、次のようになっています。
Ⅰ 超越論的原理論
 第一部門 超越論的感性論
 第二部門 超越論的論理学
  第一部 超越論的分析論
  第二部 超越論的弁証論
Ⅱ 超越論的方法論

西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)




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