2020年6月1日月曜日

(1987)  カント『純粋理性批判』(1-1) / 100分de名著


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第1回のポイントは「カントが直面した近代哲学の二大難問」。「物心問題」「主客一致の問題」。ヒュームの警告が、探究にまったく別の方向を与えたが「私はけっして彼の結論についてヒュームに耳を貸さなかった」
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第1回  1日放送/ 3日再放送
  タイトル: 近代哲学の二大難問

【テキストの項目】
(1)  十年の沈黙を破って出版された大著
(2)  カントが生きた近代ヨーロッパ
(3)  近代哲学が直面した二大難問
(4)  主観と客観は一致できるか
(5)  カントを震撼させたヒュームの警告
(6)  カントは何を「批判」したのか

(7)  主観の共通規格は存在する
(8)  感性と悟性の働き
(9)  コペルニクス的転回


【展開】

(1)  十年の沈黙を破って出版された大著
 教授職に就いた途端、筆がぴたりと止まり、実に11年ものあいだ、ただの一作も発表していません。この長い沈黙を破って発表されたのが、今回みなさんと一緒に読み解く『純粋理性批判』です。
 冗談や洒落を好み、講義も面白いと人気だったカントですが、『純粋理性批判』は緻密にして難解。出版当初の反響は芳しくなかったようですが、哲学の長い歴史において間違いなく五指に入る第一級の名著だと思います。その後たて続けに発表された『実践理性批判』『判断力批判』とともに「三批判書」と呼ばれ、のちの哲学者たちに大きな影響を与えました。

(2)  カントが生きた近代ヨーロッパ
 近代ヨーロッパおいて、自然科学が飛躍的な発展を遂げました。
十七世紀にドイツのヨハネス・ケプラーが天体の運行法則を発見し、
イタリアではガリレオ・ガリレイが地上における物体落下の法則性を、数学を使って解明します。
さらにイギリスのニュートンが天体と地上の両方で、しかも極めてシンプルな原理から物体運動の法則性を解き明かしています。

 自然科学の発展は、それまでの常識を次々と書き換えていきました。なんでも科学で説明がつく、どんな問題も科学が解決してくれる。――そんな期待がふくらむ一方で、厄介な二つの難題が浮上してきます。

(3)  近代哲学が直面した二大難問
 近代哲学は、二大難問に直面しました。
第一に、人間の自由や道徳の根拠に関わる難問 → 物心問題
第二に、認識の客観性を巡る難問 → 主客一致の問題

第一の難問:人間の自由や道徳の根拠に関わる難問 → 物心問題
 物と心の関係をどう考えたらよいのか。これを「物心間題」といいます。
 世界の一部でもある人間の「心」も、自然法則から逃れられず、決定されているのかもしれません。人間が感じたり、考えたり、「自由意志で決めた」と思っていることも、実はそう思い込んでいるだけで、すべてが自然現象と同じく決定論的に生じているのかもしれません。
 この問題は、人の自由意志はあるのか、だけでなく、物によって心をつくりだせるか(AIは人間の心になりうるか)、さらに、人の抱く道徳や美(価値) は物理の世界にはないが、それらの根拠をどう考えればよいか、などを含んでおり、現代に至るまで未解決の難問となっています。

(4)  主観と客観は一致できるか
第二の難問:認識の客観性を巡る難問 → 主客一致の問題
 主観はどうやって客観的世界に一致する知を獲得できるのか。これを「主客一致の問題」といいます。人間の知の客観性をどう理解したらよいか、と置き換えてみることもできます。
 そもそも知の客観性というものをどう理解すればいいのか。また、道徳や美のような領域についても、それなりの客観的な(共有できる)知をつくりだすことはできるのか。この問題についても、現代に至るまで哲学の世界で完全に共有されて「定説」となった答えはありません。

(5)  カントを震撼させたヒュームの警告
 デカルトによって提示された「物心問題」と「主客一致の問題」は、その後、二つの大きな哲学の流れのなかで解答が試みられていきます。一方がイギリス経験論、もう一方が大陸合理論です。
 イギリス経験論のヒュームは、人間は決して主観の外には出られないと断言します。デカルトが「神によって授けられた知力」によって人間は主客を一致させうるとしたのに対し、ヒュームは、人間が客観的真理だと思っていることは「習慣的にそう信じているだけ」だと一蹴します。
 衝撃を受けたカントは、次のように書いています。「私は正直に認めるが、ディヴィド・ヒュームの警告がまさしく、数年前にはじめて私の独断的まどろみを破り、思弁的哲学の分野における私の探究にまったく別の方向を与えたものであった。といっても、私はけっして彼の結論についてヒュームに耳を貸さなかった」

(6)  カントは何を「批判」したのか
 『純粋理性批判』の中心課題は、二つあります。
ヒュームによって、自然科学の客観性と信頼性は打ち砕かれました。それをあらためて立て直そうとします。カントは、科学の信頼性の根拠を解明することによって、科学のさらなる発展を支える土台を築きたいと考えました。
      科学の知はたしかに重要ですか、人間の価値や生き方に関する問いには答えてくれません。「よく生きるには何が必要か」という問いに対してもきちんとした答えを提示しようとしました

 『純粋理性批判』の字義
「批判」:必ずしも否定や非難のニュアンスを含んでいるわけではありません。 理性の能力とその限界を厳しく吟味することを指す言葉です。この本でカントは、人間が備える「純粋理性」のできること・できないことを吟味して明確にしようとしたわけです。
「理性」:カントのいう「理性」とは、広義では、感覚を含む人間の認識能力一般を指します。狭義では、とくに物事を推理する能力を指します。カントは、人間の理性はしばしば暴走して「究極真理」を求め、答えの出ない問いにはまりこんでしまう、と考えます。「理性を正しく使用するために理性の能力」を吟味しようとします。
「純粋」:経験から得た知識を含んでいない、という意味です


以下は、次回に書きます。
(7)  主観の共通規格は存在する
(8)  感性と悟性の働き
(9)  コペルニクス的転回

<出典>
西研(2020/6)、カント『純粋理性批判』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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