2020年4月26日日曜日

(1950)  コッローディ『ピノッキオの冒険』(4-2) / 100分de名著

 
◆ 最新投稿情報
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(K1091)  汁物摂取で肥満予防を <体の健康>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/04/k1091.html
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人形になる前、まるたん棒であったとき、すでに言葉を持っていた。生まれる前からみずからの意志や個性を備えた存在だったピノッキオ。多くの人たちの創作意欲を刺激し、新しいピノッキオ像をつくり出そうとした
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第4回  27日放送/ 29日再放送
  タイトル: 「帰郷」という冒険
 
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 
【テキストの項目】

(1)  《おもちゃの国》へ
(2)  遊びの果てに待っていたもの
(3)  子どもを取り巻く過酷な運命
(4)  虐待されるピノッキオと間違いだらけの口上
(5)  巨大なサメ、現る
 
(6)  ジェッペットとの再会
(7)  心を入れ替えるピノッキオ
(8)  労働余暇としてのレクリエーション政策
(9)  ついに願いが叶うとき
(10)ラストシーンをどう解釈するか
(11)日本における受容の歴史
 
【展開】
(1)  《おもちゃの国》へ
(2)  遊びの果てに待っていたもの
(3)  子どもを取り巻く過酷な運命
(4)  虐待されるピノッキオと間違いだらけの口上
(5)  巨大なサメ、現る
 以上は、既に書きました。
 
(6)  ジェッペットとの再会
 逃げようとして必死に泳いだピノッキオだが、サメに呑み込まれてしまいました。お腹の中でピノッキオは、ジェッペットに再会します。
 あの大嵐の波にのまれた際、近くにいたサメに食べられた。その時にサメは一緒に大きな貨物船も呑みこみ、その積み荷の食べ物やろうそくで、ジェッペットは2年間ここで生き延びてきた。しかし、いま灯しているろうそくが最後だといいます。
 グズグズしていられない。脱出の可能性を話し合いました。
 
(7)  心を入れ替えるピノッキオ
 ピノッキオとジェッペットは、サメが眠っている隙に口から海に飛び込んで、脱出に成功しました。岸にたどりついたピノッキオは一軒の小屋を見つけます。あの物言うコオロギが待っていて、この小屋は仙女のプレゼンだ、弱った父親にミルクを飲ませたいならと手に入れる方法を教えてくれました。
 「その日から五か月、ピノッキオは毎朝、陽がのぼる前に起き出して、一杯のミルクのために揚水機を回しにでかけ」ました。少しずつ体力を回復したジェッペットを自分で作った手押し車にのせ、仕事の合間に散歩にでかけました。藁で編んだ籠やざるを作って収入を得、夜遅くまで読み書きの勉強もしました。
 
(8)  労働余暇としてのレクリエーション政策
 ファシスト党の政策に「ドーポラヴォーロ」(仕事のあと)というものがあり、労働者にさまざまな余暇活動を提供することでアフターワークも党が管理するという政策です。
 ピノッキオが仕事の合間に父親を手押し車に乗せて散歩につれていくシーンがありました。この「散歩」とは、経済の言葉で言えば労働余暇で、ファシスト時代のイタリアでとても注目されたのです。
 
(9)  ついに願いが叶うとき
 ピノッキオは、はっと夢から覚めて、あたりを見まわした。おどろいたことに、目が覚めてみると、ピノッキオは、もう、あやつり人形なんかではなく、ほかのみんなと同じ、ほんとうの人間の男の子になっていた。
 椅子によりかかっている元の、あの木のピノッキオをしばらく眺めていたピノッキオ。「あやつり人形だったぼくって、なんておかしなかっこうだったんだろう。でも、いまは、こうして本物の人間の男の子になれて、ほんとうにうれしいな!」
 ピノッキオがこうつぶやいたところで、物語は幕を閉じます。
 
(10)ラストシーンをどう解釈するか
 人形だった自分と男の子になった自分の両方を見ることができる立場に立つことこそが重要だった。ピノッキオは最終的に、自分を相対化したり、客観視できたりする、単なる男の子よりもさらに成熟した存在になったのです。
 わがままで、誘惑にすぐ負けて、失敗ばかりしていたあのころのピノッキオも、なんだか愛しいじゃないか。人間の男の子になった現実と、不条理なことも含めて引き受けて生きていた人形だったころの現実と、私たちはどちらを選ぶのか。両義的であるこの物語を、読者はどう受け止めるのだろうか。
 
(11)日本における受容の歴史
 日本で最初に出版されたピノッキオの物語は、1920(大正9)年、西村アヤという11歳の少女が書いた『ピノチヨ』(キンノツノ社)で、絵入りの単行本としては世界で最初の翻案だと思われます。1925(大正14)年には佐藤春夫が大人向けの完訳本『ピノチオ』(改造社)を、戦後だけでもおよそ10人の翻訳家が単行本を、出版しました。
 宝塚大劇場の公演『ピノチオ』を観劇した手塚治虫が1952(昭和27)年に漫画版『ピノキオ』を描いています。1963(昭和38)年にはフジテレビで、人形アニメ「ピノキオの冒険」が放送されました。
 
<出典>
和田忠彦(2020/4)、コッローディ『ピノッキオの冒険』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)

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