2020年1月20日月曜日

(1854)  地震を知らない青年たち / イッテンイチナナカラ(1)

 
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(K0995)  仕上期の趣味 / 目標設定・達成型趣味(3) <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2020/01/k0995-3.html
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「阪神・淡路大震災は経験していない世代」が何をして、何を思い、何をしようとしているのか。若者たちは考えながら取り組む。知らないからできないのではなく、知らないからこそ、真っ白な状態で被災者に会いやすい
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 昨日、参加してきました。
===== 引用はじめ
 神戸市では、東北や熊本で復興支援に取り組んでいるものの、阪神・淡路大震災は経験していない世代である大学生が中心となり、震災について学び、発信するイベント「1.17→」(イッテンイチナナカラ)を神戸三宮センター街1丁目で実施します。
===== 引用おわり
https://www.city.kobe.lg.jp/a31423/kisyashiryo/570824139498_2.html
 
 「阪神・淡路大震災は経験していない世代」が何をして、何を思い、何をしようとしているのか。
 
 私の結論は、「阪神・淡路大震災は経験していない世代」だからできないのではなく、逆に、「阪神・淡路大震災は経験していない世代」だからできることもあるだろう。
 
 阪神・淡路大震災が起こった時に生まれていたことに何の意味があるのだろうか。
 
(1)        確かに阪神・淡路大震災の時代に生きた私(=藤波)は、リアルタイムで流れてくるニュースにショックを受けた。この経験は昔の映像を見るのとは違う。ただ、最近は災害の様子がさかんに放映され慣れてしまって、まるで映画の一シーンを見るようで現実味を感じない人が増えているようだ。阪神・淡路大震災か受ける衝撃は、その時に生まれていたかとか物覚えがあるかということより、その人の感受性が大きく影響すると思う
 
(2)        確かに震災で辛い・苦しい思いをした人、肉親や親しい人を喪って悲し思いをした人、いかばかりだっただろうか。「まだ生まれていなかった君たちには分からないだろう」と思うのももっともである。ただ、同時代に生きてはいたが、そのような体験をしていない人(私=藤波は、家を神戸に残したまま東京で住んでいたので、家は全壊したが、人の怪我はなく怖い思いもしていない)も、分かったといっても限度がある。どちらかというと、まだ生まれていない人に近いだろう
 
(3)        実際に体験した人であっても、その体験は千差万別、起こったことも違うし、環境も違うし、その人の受け取り方も違うだろう。自分が死にそうになった人と、目の前で肉親が津波にさらわれた人と、どれだけ分かり合えるのだろうか。もちろん深い哀しみという共通点で近くにはいるだろうが、一人一人皆違うと思う。
 
 震災の時に生まれていたかどうかは、実に些細な事だ。そこに問題はない。問題は別のところにある。
 
 「まだ生まれていなかった君たちには分からないだろう」。その背景には「私は分かっている」がある。分かっていないにもかかわらず。数字でイメージすると、100のうち10を知っている人が8を知っている人に「君は分かっていない」と軽く見る。滑稽だ。
 
 被災した人を、自分が真っ白になって受け入れる。これが大切だと思う。まだ生まれていなかった人は、元々真っ白。色のついた「体験者」よりもはるかに準備が整っている。私は、そう思う。

 続く(連続ではなく)


「戦争を知らない子供たち」を思い出しました(動画付き)。
https://www.uta-net.com/movie/2834/

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