2019年9月15日日曜日

(1727)  損得で動く人がいる / おしん(143)

 
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(K0868) (続)「竹内まりあ/人生の扉」を聴いて <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/09/k0868.html
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世の中に損得で動く人が少なからずいます。損得で動く人がそうでなくなる可能性は低いでしょう。損得で動くのは一つの生き方で、善悪は言えません。残念だが、そういう人なのだという前提でつきあうしかありません
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 極論すると、人は、損得で動く人(A)と、損得では動かない人(B)とに分けられます。困ったときに助けに来てくれるのが(B)で、その時(A)は黙ってどこかに去ってしまいます。人生には浮沈があります。いつまでも友情で結ばれているのは(B)です。
 いつも人助けをしている人(X)の周りには(A)(B)もいます。その人(X)には、どの人が(A)で、どの人が(B)か、見分けがつきません。みんなニコニコしています。一つ言えることは、普通の人よりたくさん、損得で動く人(A)が群がっていることです。なお、(X)と一緒に人助けをしている人は(B)であり、彼らとはどんな時でも安心して協力関係を結ぶことができます。
 苦難の時期があるのは、悪い事ばかりではありません。その時(A)が離れていってくれるからです。本当の友だけが残ります。
 

 以上のことは、「連続テレビ小説 おしん(143)」を見ていて考えたことです。
 
 お清(高森和子)の仕打ちで、おしん(田中裕子)は死産となりました。それでもお清は自己正当化を貫きます。
 お清の娘篤子(長谷直美)は同じ日に出産したのですが、母乳が出ません。乳の張るおしんは、お清の懇願に応じ、篤子の子どもに母乳を与えました。
 お清は喜び、おしんに優しい言葉をかけます。おしんにとっては、皮肉なことに佐賀へ来て初めて平和な日が訪れました。


 めでたし、めでたし! だろか?
 
 一番のポイントは、お清が優しくなったか、どうかです。私は、お清の行動は優しくなったが、お清という人そのものは何も変わっていないと思います。一貫して「損得で動く人(A)」です。この先、おしんが役に立たないと思ったら、お清の行動は元に戻るでしょう。疑似的な「平和な日」に過ぎません。
 ドラマの続きを見ていると、おしんも私と同じように考えたようです。
 

<出典>
連続テレビ小説 おしん(143
https://www4.nhk.or.jp/P2469/x/2019-09-13/10/23703/1610343/

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