2019年5月18日土曜日

(1604)  綺麗と汚いは二項対立ではない / 日本の文化

 
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(K0745)  中高年のひきこもり61万人(2)  8050(はちまるごーまる)問題 <その他・ひきこもり>
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 「綺麗だと、汚くはない」「汚いと、綺麗ではない」は言える。しかし、「綺麗でなければ、汚い」「汚くなければ、綺麗」とは言えない。
 
 家の前の路の掃除をしながら考えた。
 


 乱雑に落ち葉が散らばっている状態を汚いと感じ、それを取り除くと汚いとは感じなくった。一方、掃き清めるように、大きな落ち葉だけでなく細々とした小さな塊を取り去ると、綺麗に見えた。特に壁の立ち上がり部分や、くぼみに挟まったものも取り除くと、より綺麗に見えた。汚くない状態とは一味違う。
 
 「四角な座敷を丸く掃く」と汚さは減るが、それだけでは綺麗にはならない。
 


 「汚くない」にとどまらず、要求されなくとも「綺麗にしよう」というのが、日本人の一般的な美徳ではないだろうか。この美徳は、少しずつ損なわれているような気がするが、損なわれることがあるなら、逆に育むことできるはずだ。
 
 掃き清める、この「清める」が日本の文化の特質の一つだろう。「綺麗にしなさい」と言われて子供がするのは、「汚くなくて叱られる」ことがないようにすることだ。掃き清める親の姿を見て、子供も綺麗にし始める。それが快く、落ち着けるからだ。
 

(追記)イメージ写真(添付)をインターネットで探しながら思った。落ち葉(特に紅葉)を美しいものとして写した写真が多かった。
 
 以下は、「汚い」落ち葉 イメージ写真

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