2019年4月21日日曜日

(1577)  マルクス・アウレリウス『自省録』(4-2) / 100分de名著

 
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第4回 22日放送/24日再放送

  タイトル: 「今ここ」を生きる
 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


語録(添付表と同じ)
 
(01)  あらゆるものは本性的に死ぬものである。 (一・一八)
 
(02)  お前の生涯はもう終わろうとしている。それなのに、自分自身を尊敬することなく、他者の魂の中に自分の幸福を預けている。 (二・六)
 
(03)  死は出生と同じく自然の神秘である。 (四・五)
 
(04)  たとえお前が三千年生き長らえるとしても三万年生き長らえるとしても、覚えておけ。何人も今生きている生以外の生を失うのではないこと、今失う生以外の生を生きるのではないことを。だから、もっとも長い生、もっとも短い生も同じことだ。今はすべての人に等しく、したがって失われるものも等しい。かくて、失われるものは束の間のことであることは明らかだ。過去と未来のことを失うことはできないからである。持っていないものをどうして彼から奪うことができるだろうか。 (二・一四)
 
(05)  各人は今だけを生き、かつそれだけを失う。 (一二・二六)
 
(06)  各人は束の間のこの今だけを生きている。それ以外はすでに生き終えてしまったか、不確かなものだ。 (三・一
 
(07)  すべての行為を生の最後の行為のように行う。 (二・五)
 
(08)  お前がこんな目に逢うのは当然だ。今日善くなるよりも、明日善くなろうとしているからだ。 (八・二二)
 
(09)  人格の完全とは毎日を最後の日のように過ごし、激することなく、無気力にもならず、偽善をしないこと。 (七・六九)
 
(10)  すでに死んでしまった者のように、今までに生を終えてしまった者のように、今後の人生を自然に即して余得として生きなければならない。 (七・五六)
 
(11)  今を見た人は、永遠の時から生じ、無限へと存在するであろうすべてを見てしまったのである。すべてのものは同類で同じ形だからである。 (六・三七)
 
(12)  人生は短い。熟慮と正義を携え、今を無駄にしてはならない。 (四・二六)
 
(13)  お前が回り道をして到達することを祈るかのものすべてをお前が自分自身に拒否しなければ、すでに手に入れることができている。過去のことは捨て去り、未来を摂理に委ね、ただ今を敬虔と正義に方向づけるならば。
 「敬虔に」とは、配されたもの(運命)を愛するためである。なぜなら、自然がそれをお前に、またお前をそれにもたらしたからである。「正直に」とは自由に回りくどくなく真実を語り、法律に即しふさわしい仕方で行為するようになるということである。 (一二・一)"
 
(14)  神々を敬え。人々を救え。人生は短い。地上の生の唯一の収穫は、敬虔な態度と共同体のための行為である。 (六・三
 
(15)  野性的な生きもの(人間)の善は共同体(コイノーニア)である。 (五・一六)
 
(16)  枝は隣の枝から切り離されたら、木全体からも切り離されないわけにはいかない。まさにそのように、人間も一人の人間から引き離されたら、共同体(コイノーニア)全体から離脱することになる。ところで、枝は(枝とは)別の者が切り離すが、人間は隣人を憎み背を向けることで、自分で自分を隣人から分離する。しかし、同時に共同体からも自分を切り離してしまうことになるのを知らない。 (一一・八)
 


<出典>
岸見一郎(2019/4)、マルクス・アウレリウス『自省録』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)


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