2019年3月25日月曜日

(1552)  (50) 西田幾多郎『善の研究』 / 「明治の50冊」

 
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1.   どんな本か
1.1.  「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の4編からなる
1.2.   西田幾多郎が40歳のとき出版。すぐ絶版になった
1.3.   しかしやがて、苦悩を抱えていた旧制高校生にとって必読の書となった
 
2.   エリート青年たちの哲学的苦悩
 
3.    純粋経験とは何か
 
4.    善とは何か
 
5.    この本の価値
5.1.   二元論的発想の呪縛からの解放
5.2.   チャレンジに値する本
 


【展開】

1.   どんな本か

1.1.  「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の4編からなる
 『善の研究』は明治44(1911)年、弘道館という出版社から刊行された。
 
1.2.  西田幾多郎が40歳のとき出版。すぐ絶版になった
 前年に西田は京都帝大助教授となっていたものの、まだ無名の哲学徒の著作は注目されることもなく、ほどなく絶版となった。
 
1.3.  しかしやがて、苦悩を抱えていた旧制高校生にとって必読の書となった
   西田幾多郎『善の研究』
   倉田百三『愛と認識との出発』 … 『善の研究』を絶賛した
   阿部次郎『三太郎の日記』
 

2.   エリート青年たちの哲学的苦悩
 エリート青年たちの関心は国家から自分の内面へと向けられ、自分とは何者か、いかに生きるべきかといった哲学的苦悩にさいなまれるようになった。
 

3.   純粋経験とは何か
 通常は、まず私が存在し、私の意識がさまざまな経験をすると考える。
 ところが、西田は最初に経験があると考えるのだ。ここでいう経験とは、たとえば夕日を目にして「はっ」と感じた刹那の、私の判断がまだ何も働いていない、主観と客観がひとつとなった状態の経験だ。これを純粋経験という。
 これを核にして「美しい」とか「懐かしい」とか感じる私の意識が生じる。西田は愛も、私と他者がひとつになる純粋経験だという。
 純粋経験とは、客体への共感・共鳴と言い換えることができるだろう。共感・共鳴から人間の意識は生まれ発展してゆくのだ。
 

4.   善とは何か
 《善とは自己の発展完成である》。宇宙はあるひとつのものから分かれて発展し、大いなる統一に向かって変化を続けていると考える西田によれば、この法則に従うことこそが善であり、それは純粋経験(共感・共鳴)においてこそ実現されるというのである。
 

5.   この本の価値

5.1.  二元論的発想の呪縛からの解放
 主客、自他といった二元論的発想の呪縛から私たちを解き放ち、他者といかに切り結んでゆくか、という発想に導いてくれる
 
5.2.  チャレンジに値する本
 世界を見る前提や常識を問い直すと、世界や人間の新たな可能性が発見できるかもしれない。そのことを『善の研究』は思考の過程を見せながら教えてくれます。若い人にぜひチャレンジしてほしい
 


【プロフィル】西田幾多郎(にしだ・きたろう)
 明治3(1870)年、加賀国河北郡(現石川県かほく市)生まれ。第四高等中学校中退、帝国大学哲学科選科を卒業。山口高、四高、学習院の教授をへて43年に京都帝大助教授、3年後に教授。西洋の借り物ではない独自の哲学を打ち立てる。四高の同級生だった仏教哲学者の鈴木大拙とは終生交流を続け、後に哲学者となる西谷啓治、三木清、下村寅太郎らを指導。昭和20年6月死去。
 


<引用>
西田幾多郎『善の研究』 苦悩する旧制高生必読の書
【明治の50冊】 50  産経新聞(2019/03/25)
 
(50)西田幾多郎『善の研究』 苦悩する旧制高生必読の書
https://www.sankei.com/life/news/190325/lif1903250008-n1.html

 

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