2019年3月18日月曜日

(1541)  (47) 長塚節『土』 / 「明治の50冊」

 
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1.   どのような本か
1.1.  何を描いたか
1.2.  あらすじ

2.   評価
2.1.  連載時の反応は芳しくなかった
2.2.  評価する声も

3.   『土』の魅力

4.   読み継がれるべき作品
 

【展開】

1.   どのような本か

1.1.  何を描いたか
 関東平野東部を流れる鬼怒川べりの農村を舞台に、小作人・勘次一家の貧しい生活と取り巻く自然、人、風俗などを描いた。

1.2.  あらすじ
 茨城県岡田村(現・常総市)国生(こっしょう)あたりの農村に暮らす勘次と妻、お品、娘のおつぎ、幼い与吉の一家。折り合いの悪い義父・卯平は奉公に出ている。勘次も畑だけでは暮らせず、土木工事に出て、お品も行商などで糊口(ここう)をしのぐ日々。
 だが、身ごもった子供を自分でおろした処置が悪く、お品が急死する。お品の代わりにおつぎを厳しく仕込む勘次。貧しさゆえの盗みや嫉妬、欲など屈折した感情にまみれながらおつぎ、与吉は成長、暮らしも安定するが、勘次と卯平の葛藤は続き、また悲劇が…。
 

2.   評価

2.1.  連載時の反応は芳しくなかった
(1)  編集担当の森田草平は「極めて読者受けが悪い」と回想(平輪光三著『長塚節 生活と作品』)。
(2)  無名の節を起用した文芸欄主任の夏目漱石も、単行本序文で「面白いから読めとは云(い)い悪(にく)い」「読みづらい」「泥の中を引き摺(ず)られるような気がする」とも。

2.2.  評価する声も
(1)  それでも、当時の東京朝日主筆、池辺三山は森田に「あれは聢(しっか)りしたものだ、(不評に)構はず続けろ」、
(2)  漱石も「今の文壇で長塚君を除いたら(中略)誰にも書けそうにない」と評価し、『土』は世に出た。
 

3.   『土』の魅力

 、「明治も40年たったころの農家の生活を赤裸々に描いたこと。それも空想でなくモデルがいる話、まさにノンフィクションなんです。節には貧農の世界を世に知らしめたいとの思いがあったのでは」
 

4.   読み継がれるべき作品

 「余はとくに歓楽に憧憬(どうけい)する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、この『土』を読む勇気を鼓舞する事を希望する」(漱石の序文から)
 


【プロフィル】長塚節(ながつか・たかし)
 明治12(1879)年、茨城県国生村(当時)の豪農の家に生まれる。水戸中学(現・水戸一高)を病気のため中退後短歌をはじめ、33年、正岡子規に入門。子規死後の36年、伊藤左千夫らと歌誌「馬酔木(あしび)」創刊。写生文も手掛け『佐渡が島』、小説『芋掘り』などで注目される。43年に東京朝日新聞で『土』を連載、45年に単行本として出版。連載後に患った結核が悪化し、大正4(1915)年に死去。
 


<引用>
長塚節『土』  貧農の世界、徹底した描写
【明治の50冊】47  産経新聞(2019/02/25)
 
(47)長塚節『土』 貧農の世界、徹底した描写
https://www.sankei.com/life/news/190225/lif1902250014-n1.html

 

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