2019年2月5日火曜日

(1504) 「部分視」「全体視」 / 明石市長辞任問題

 
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(K0645) 「認知症フレンドシップクラブ」 <脳の健康><地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2019/02/k0645.html
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 「部分視」「全体視」という言葉はなく、私が勝手に作ったものです。ぴったりした言葉が見つからなかったので使いました。適切な言葉があれば置き換えます。ニュアンスとしては「木を見て森を見ず」が近いでしょう。


 マスコミの報道、政治家の発言、テレビの「コメンテーター」の発言を見聞きし、彼らが「全体視」をないがしろにし、「部分視」ばかり取り上げることによりミスリードしていることが多いのではないかと気になっています。
 
 例えば、最近の兵庫県明石市長の辞任の問題。私は、泉市長を批判も擁護もしませんが、報道は批判したい思いです。それは、あったことの一部しか報道していないことに対する批判です。

 
 おそらく、次のサイトが全体を報じていると思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/15970403/
 
 因みに、「明石市長辞任問題」とは、
===== 引用はじめ
 2017614日、明石駅付近の国道2号の拡幅工事に必要な立ち退きに関し、土地買収交渉における進捗の停滞に業を煮やしたあまり、担当職員に対して「火付けて捕まってこいおまえ。燃やしてまえ。損害賠償を個人で負え」、「おまえら1人ずつ1千万円出せ。自分の家売れ。その金で払うたれ」などと暴言を吐いていた。さらに、死亡事故が発生したことを機に市が国から委託を受けて立ち退き交渉を始めることとなったことに触れ、泉は「後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は」と発言していた。
===== 引用おわり
Wikipedia 『泉房穂』
 


 報道機関は全体を見て様々な角度から情報を提供する使命があると思うのだが、その多くは意図的に一部しか取り上げません。国会議員発言もそう。論争に勝とうと、自分の都合の良いところだけを拡大鏡で見せています。テレビに出てくる「コメンテーター」の多くは、素養もなく、事実の把握が不十分なまま情緒的発言を拡散しているように思います。彼らは「何が正しいか」には関心がなく、「何をどう言えば受けが良いか」だけを考えているのではないかと疑ってしまいます。
 
 世の中を良くしていくための新聞の使命は終わってしまったように感じています。自殺行為をしているからです。インターネットは、無責任な書き込み、過激な「炎上」など多くの問題を抱えているが、それでも多様な意見が発信されているように思います。「玉石混交」でも、統制され意図的に歪められた報道に頼るより、よほどいいです。テレビの質も、全体としては悪くなっているように感じます。
 
 新聞しか情報源のない高齢者やテレビのワイドショウだけから情報を取っている人より、インターネットで多様な情報を得ている若者の方が、バランスのとれた意見をもっていると感じることが多くなりました。

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