2018年10月17日水曜日

(1394) 「できない理由」が必要なとき

 
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(K0535)  要支援や軽度の認知症でも保険金を受け取れる <脳の健康><高齢期の家族経済>
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「~ついつい伝えたくなる深イイ話~」(2018/10/12)
書いてあることは、確かに正しい。
でも「それでも…」と私は思う。
 

===== 引用はじめ
できない理由を
忙しさのせいにしたとき、
心が亡くなる。
 
できない理由を
歳のせいにしたとき、
歳が老いる。
 
できない理由を
誰かのせいにしたとき、
自分がわからなくなる。
 
何かのせいにした言い訳が
全部自分に返ってくる。
 
できない理由を
自分のせいにしたとき、
できる自分が返ってくる。
 
DJあおい -
===== 引用おわり
 

実際のところは「できない理由を自分のせいに」しようとしてもできないから、何かのせいにした「言い訳」を言うのではないか。
 
できない理由の一部として、「忙しさ」「歳」「誰か」があることもあろう。それらを克服する苦しさと、「できることの価値」とを天秤にかけてよいと思う。
 
克服する苦しさより「できる」ことの価値が高い時には、「自分のせい」にして頑張ればよい。
 


一方、苦しくなって仕方なくなったら、「忙しさ」「歳」「誰か」のせいにして、しばらくお休みして構わないと思う。
 
しばらくお休みして、少し元気になったら、もう一度考えてみる。「できる」ことが、放棄してよいほど小さいものであれば、捨ててしまえばいい。努力する必要はない。
 
どうしても「できること」が大切なら、そこで初めて、この「~ついつい伝えたくなる深イイ話~」が、生きてくるのではないか。
 


これは「できることはよいことだ」と考える、勝者のための格言だろう。
その前提に立った時、この格言が「正しい」と思った。


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