2018年6月5日火曜日

(1260) 「覚悟のし方」

 
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(K0401) 「孤食」週半分以上15% <家族の再形成><地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/06/k0401.html
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「人生相談」

===== 引用はじめ
 佐藤氏(*)は新聞の「人生相談」の愛読者だそうで、ある日の新聞に載せられた人生相談を取り上げている。その相談内容は、20代の女性が40代の男性と本気で結婚したいと思っているが、家族から反対されて困っているというものだ。
===== 引用おわり
(*) 佐藤愛子
 

「人生相談」 相談を受けた人のアドバイス

===== 引用はじめ
 がんばってください。ご両親が会ってくれるまで何度も彼に来てもらってください。あなたも一緒に許しを請うてください。あきらめずに何度も何度も、です。結婚は折り合ってするものではありません。これまでご両親に向けていた愛情のすべてを彼に切り替えることです(中略)それほどの覚悟と勇気がなければ結婚するものではないのです。それでも彼と添い遂げたいというなら、一生、その意志を曲げないと誓ってください。
===== 引用おわり
 
 

 このアドバイス、どう思うか?
 ちょっと考えてから、次へ。
 



それに対する佐藤氏の見解(前半)

===== 引用はじめ
 いや、これはむつかしい。私は思う。歳月は覚悟も勇気もなし崩しにしてしまう容赦ない力を持っている。私は九十年の人生でまざまざとそれを見てきた。恋も熱病である限りやがては熱は下がることも。それが人間というものであり、「生きる」とはそういうことなのだ。といって私はこの結婚に反対はしない。やがてこの熱病の熱が下がった時にどういう事態がくるか、だいたいの想像はつくけれど、「どうしても結婚したいのなら、すべての反対に目をつむって覚悟して進みなされ」という気持ちだ。
===== 引用おわり
 
 
佐藤氏の見解(後半)

===== 引用はじめ
 しかし同じ「覚悟」でも最相女史(*)のいわれる「一生意志を曲げない覚悟」ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」である。たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きていくぞという、そういう「覚悟」です。それさえしっかり身につけていれば、何があっても怖くはない。私はそんなふうに生きて来た。そうして今の、九十二歳の私がある。
===== 引用おわり
(*)最相葉月 (?)
 
 

 以下は、私(藤波)の想像。数年たって、その結婚は破局の危機を迎えた。

 私が想像した、数年後の最相氏のアドバイス

===== はじめ
 「一生意志を曲げない覚悟」で結婚したのでしょ。「彼と添い遂げたいといって、一生、その意志を曲げない」と誓って結婚しましたよね。彼と添い遂げなさい。
===== おわり
 

私が想像した、数年後の佐藤氏アドバイス

===== はじめ
 「たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きていくぞ」という覚悟で結婚しましたよね。めげずに生きていきましょう。
===== おわり
 


 一般化する。仮に具体的に数字を示して書く。

 2000年に「2020年にこうするぞ」と決心して方向を決めた。2020年の行動は、2000年の決心に拘束されるべきか?

 否。2020年の状態を2000年には読み切れていない。2020年には、その時点での現実を踏まえ、最適な選択をすべきだろう。2000年の決心に囚われない方がよいだろう。

 しかし、そうすると、2000年の決心は何だったのだろうか?
 


 動物は、将来を予想して現在の行動を決めない。過去の経緯で現在の行動を決めない。
 人間は、将来を予測して現在の行動を決める。過去の経緯も踏まえて現在の行動を決める。
 

人間は、
 将来を予想して、今、判断するが、将来の行動まで決められないのではないか。
 過去の経緯を踏まえて、今、判断するが、過去に拘束されなくてよいのではないか。
 

 人と人との約束は、社会的な存在として、簡単に破ってはいけない。
 私と私との約束は、個人という存在として、柔軟に変えてもよいのではないか。
 
 


<出典>
https://ddnavi.com/news/323060/a/
 
元々の出典は、『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子/小学館)

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