2018年5月31日木曜日

(1255)  (16) 松原岩五郎『最暗黒の東京』 / 「明治の50冊」

 
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(K0396)  認知症患者の意思決定に指針 <脳の健康><後見と電話相談>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/05/k0396_31.html
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 松原岩五郎『最暗黒の東京』とは
 

===== 引用はじめ
 松原岩五郎は、明治25年に国民新聞の記者となった直後から、貧民街の実態を伝えるルポルタージュを次々に発表していった。それを集めて出版したのが『最暗黒之(の)東京』だ。
 当時は東京のあちこちに貧民街が存在していた。松原は廃屋のような家々がひしめく土地を渡り歩きながら、住居から家財道具、生計の立て方まで詳細に記述。「四ツ谷鮫ケ橋」(現在の新宿区)の貧民街では残飯屋に就職し、傷んだ飯も売ってしまう商売の内幕を赤裸々に書き記す。
 貧困から抜け出すことの困難さ、社会の理不尽さなどが胸に迫る。刊行間もなく版を重ね、英訳までされたという。ルポルタージュの先駆的存在として、時代を代表する作品になっていく
===== 引用おわり
 


 誰のために、何のために、書かれた本か。
 
===== 引用はじめ
 同書は、貧困の当事者向けではなく、他者、つまり新聞や本の読者による共感や行動を期待してつづられている。最下層も富裕層も同じ人間であるという近代的価値観が前提だ。…
 帝国憲法施行と帝国議会の開設が23年。国のかたちを整え、繁栄の道を進み始める一方で、社会から脱落していく人たち。放置していいのか。松原は訴える。
 《鹿鳴館の仮装舞踏会と貧民社会の庖厨(だいどこ)騒ぎとに軽重のあるはずなし》
===== 引用おわり
 
 
 なんともユーモラスな書き出し。ジャーナリスティックな視点を持ちながら、大上段に構えることなく、正直な気持ちも吐露する。

 
===== 引用はじめ
 《日は暮れぬ、予が暗黒の世界に入るべく踏(ふみ)出しの時刻は来(きた)りぬ》
 飢えに苦しむ貧困層の実態を伝えるために、実際に一緒に生活してみよう。そう考えた筆者は、準備のために数日間、野宿をして食事を抜き、浮浪者を装って、東京・上野の貧民街に身を投じる。
 ところが初日の木賃宿で、熱気や呼吸もままならない悪臭、蚊やシラミ、ノミに悩まされて、まったく眠れないまま一夜を明かし、落ち込んでしまう。
 《実際の世界を見るに及んで忽(たちま)ち戦慄し、彼の微虫一疋(いっぴき)の始末だになすことを得ざりしは、我(わ)れながら実に腑甲斐(ふがい)なき事なりき》
===== 引用おわり
 
 

【プロフィル】松原岩五郎(まつばら・いわごろう)
 慶応2(1866)年、伯耆国(現・鳥取県)生まれ。一時、慶応義塾(現・慶応大)で学んだ。二葉亭四迷、幸田露伴らと交友があり、小説『長者鑑』などを出版後、新聞記者に。明治26年に乾坤一布衣(けんこんいちふい)の筆名で刊行した『最暗黒之東京』で評判を集め、ルポルタージュの開祖などと呼ばれる。日清戦争に従軍記者として派遣された。北海道についての紀行文を記し、「大雪山」の命名者といわれる。昭和10年死去。
 
 

<引用>

松原岩五郎「最暗黒の東京」 / 体験ルポルタージュの元祖 / 再暗黒の東京
【明治の50冊】(16) 産経新聞(2018/05/28)
 
(16)松原岩五郎「最暗黒の東京」 体験ルポルタージュの元祖
https://www.sankei.com/life/news/180521/lif1805210020-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)


2018年5月30日水曜日

(1254) 『生きがいについて』(投稿リスト)、来月予告:カミュ『ペスト』 / 100分de名著

 
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(K0395) 「7割国家」と地方(2)対策編 <少子高齢化>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/05/k03952.html
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【投稿リスト】『生きがいについて』(投稿リスト) / 100de名著


(1224) 「生きがい」に出合うために/ 神谷美恵子『生きがいについて』(0) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/12240100de.html
 
 

(1228) 「生きがい」を定義する / 神谷美恵子『生きがいについて』(A) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1228a100de.html
 

(1229) 「生きがいがない(M)」状態 / 神谷美恵子『生きがいについて』(B) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1229b100de.html
 

(1230) 「生きがいがある(P)」状態 / 神谷美恵子『生きがいについて』(C) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1230c100de.html
 
 
(1231)  生きがいとは何か / 神谷美恵子『生きがいについて』(1) / 100de名著

http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1231-1100de.html
 


(1235)  無名のものたちに照らされて / 神谷美恵子『生きがいについて』(2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1235-2100de.html
 
 

(1241) 「かなしみ」が導く光(死別について) / 神谷美恵子『生きがいについて』(3-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/12413-1100de.html
 

(1242)  生きがいを奪い去るもの(1) / 神谷美恵子『生きがいについて』(3-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1242-13-2100de.html
 

(1243)  生きがいを奪い去るもの(2) / 神谷美恵子『生きがいについて』(3-3) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/1243-23-3100de.html
 
 

(1249) 人間の根底を支えるもの~「変革体験」 / 神谷美恵子『生きがいについて』(4-1) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/12494-1100de.html
 

(1250) 人間の根底を支えるもの~宗教など / 神谷美恵子『生きがいについて』(4-2) / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/05/12504-2100de.html
 
 

【来月予告】 カミュ『ペスト』 / 100de名著
 
2018年6月号 (100de名著)
カミュ『ペスト』
講師:中条省平(学習院大学教授)
理由のない厄災に、いかに向き合うか
 
地中海に面した仏領アルジェリアの都市オラン。おびただしい数の鼠の死骸が発見され、人々は熱病に冒され始める――ペストの厄災に見舞われた街で、人々はいかに生きてゆくのか。ノーベル賞作家アルベール・カミュ(191360)の傑作を現代的視点で読み解く。
 


ご参考

【4月『法華経』リスト】
(1215) 『法華経』(投稿リスト)、来月予告:神谷美恵子『生きがいについて』 / 100de名著
http://kagayaki56.blogspot.jp/2018/04/1215100de.html
 
 

出典

若松英輔(2018/5)、『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載


(1253) 「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは (中谷加代子さんの場合)

 
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(K0394) 「7割国家」と地方(1)問題点 <少子高齢化>
http://kagayakiken.blogspot.com/2018/05/k03941.html
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 前回に引き続き、「特にあてもなくテレビのチャンネルを変えていて、ぶち当たった」番組の紹介を紹介する。 今回は、重い。
 


 NHK総合 2018527日(日) 午前615(35)
目撃!にっぽん「シリーズ 我が子を奪われて “幸せをめぐる対話”」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077305/index.html
添付写真は、このサイトから転載。
 
===== 引用はじめ
 刑務所や少年院で、罪を犯した人たちを前に被害者の思いを語り続ける人がいる。山口県に住む中谷加代子さん(57)。12年前の夏、長女の歩さん(享年20)を同級生によって殺害された。中谷さんは受刑者たちを前に必ず1つの問いかけを行う。「罪を償うことと幸せを感じることは別物か?」。受刑者たちに問いかける「幸せ」。そこにはどんな意味があるのか。一人の犯罪被害者遺族と、罪を犯した人々の対話を追った。
===== 引用おわり
 


 以下は、ホームページから抜き書きした。
 

===== 引用はじめ
 
 中谷さんは20068月、高等専門学校の5年生だった長女の歩さんを殺された。犯人は同級生だった男子学生。自殺して見つかったため、動機など詳しいことは分かっていない。

 「親なのに、歩がおらんのに、何で私が生きているのか。自分が生きていると感じたとき、本当に嫌だと思った。あの時、歩と一緒に死ねたら楽だったのかもしれません。髪を切りに行った時も、歩と一緒に行ったことのある美容院で、タオルを外せなかった。どこに行っても、寝ても起きても、涙が流れ続けて」


 
 男子学生が自殺して見つかり、捜査結果を聞いた後は「心の内を率直に語り合える友人が彼にいたら、あるいは事件直前の微妙な彼の変化に家族が気づいていたら、事件は起こらなかったのでは」と思うようになったという
 
 「人に苦しい思いをさせる犯罪をなくしたい、と思うようになったんですね」
 
 2012年に中谷さんは30年以上勤めた仕事を辞めた。「犯罪被害者の遺族として何かできないか。自分の体験を警察などで生かしてもらえないか」と考えていた。
 
 今では山口県だけでなく、県外の刑務所でも受刑者と向き合う。中学校や企業に出向き、「命の大切さ」をテーマに話す機会も多い。
 
 「みなさんを許すことができる最後の一人、それはみなさんご自身です。目指すのは、まずはご自身の幸せ。それでいいと思うのです」
 
 中谷さんの語りかけに、「幸せになってもいいんですか」と震える声で返す人がいる。涙を流す受刑者もいる。生きることに罪悪感を抱いている受刑者たちも、事件がなければ、どこにでもいる女性と変わらない、と中谷さんは思うようになった。街で知り合えば、友人になっていたかもしれない、と。
 
 「犯罪被害者遺族が加害者である受刑者に対し、『幸せになって』と言うのはおかしいのかもしれません。でも、自分が自分の幸せを感じることで、他人の幸せを想像することができる。それが、人から言われたのではない、心からの反省を促す。そうした反省の気持ちは、被害者が亡くなっていたとしてもきっと伝わる。そう信じています」
 
===== 引用おわり
「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは


https://news.yahoo.co.jp/feature/710
 
 

 賛同する人もいるが、理解できない人の方が多い。「私は幸せになってはいけないのです」と強く反発する受刑者もいる。
 
 中谷さんの活動は「実に感動的なお話でした」と書きつつも、「世の中には二種類の「殺人犯」が存在します。「矯正可能な殺人犯」と、「矯正不可能な鬼畜」だ」 ~ として、「配信記事を一読して愕然となり、加害者の厳罰化を訴える私としては到底納得できない」と主張する人もいる。
https://blog.goo.ne.jp/tennen-okita-ret-1/e/28d8913a4ad5198ee792e50e5f2e036a
 
 
 中谷さんの場合は、自分の娘を殺した犯人は、すでに自殺してこの世にいない。わが子を殺した犯人がまだ生きているケースもある。遺族にとって、その違いは大きく、「同じ体験をした」とは、言えないのではないか。
 


 一方、私(藤波)は似た体験もしていない。
 何が正しいとか、私からは何も言えない。
 
 中谷さんの言っていることも、行っていることも、私は理解できる。一方、
 私の家族や親しい人が被害を受けたとして、中谷さんのようにできるかというと、自信が無い。もしも、その立場に立たされると、中谷さんに反発するかもしれない。


2018年5月28日月曜日

(1252)  ハンマーダルシマー

 
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(K0393)  介護人材不足 三つの対策 <介護>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0393.html
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 時々あるのだが、特にあてもなくテレビのチャンネルを変えていると、ぶち当たる。
 
 観た番組は、BS Japan 2018526()800分~朝830
おんがく交差点【『変なおじさん』の『変な楽器』?ハンマーダルシマー奏者 MiMi
http://www.bs-j.co.jp/program/detail/201805/23729_201805260800.html
 


ともかく聞いてみよう。その時の収録は、
https://www.youtube.com/watch?v=gFhF7JzhOPI&feature=youtu.be
 

演奏者のMiMiのページは、
https://mimi-hammereddulcimer.localinfo.jp/
添付写真は、このサイトより。
 


ハンマーダルシマー。その他の演奏。例えば、
 
https://www.youtube.com/watch?v=alcRdeJ5kks
 
https://www.youtube.com/watch?v=ayAvzVdOJJY
 
https://www.youtube.com/watch?v=3p8NFzXLask


(1251)  ヤクザの手口(米朝会談へ)

 
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(K0392)  介護人材 79万人不足<介護>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0392-79.html
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 添付写真を見て、「ヤクザの手口」を思い出した。先にお断りしておくが、金正恩委員長がヤクザだと言っているのではない。
 


 言う通りさせるために徹底的に脅かすのは、3流のヤクザらしい。正しいヤクザの手口?とは、、、、脅かし役Aとなだめ役Bとが組になって動く。
 
 まずAが対象者Xを徹底的に脅かし、例えば1000万円を要求する。Xが困り果てた時にBが登場しAに対して、「それでは、あまりにもXか気の毒だ」とXを庇いに入る。Aが反発し、内輪もめになるが、Bも頑張り500万円ならと折れ合う。Xは、1000万円のところが500万円ですみそうだ、納得はできないが、500万円ですむならしかたがないと応じる。ヤクザのなかにもBのような良い人もいるのだと、ちょっと救われた気になる。
 1年経ったら、こんどは別のCが脅かしてきた。困ったXは、Bに仲介役を頼み、こんども被害を少なくできた。Bがいてくれて良かった、「地獄に仏だ」と頼りにする。
 

 お分かりだと思うが、A、B、Cは最初からグルで、1回目は500万円を脅し取ろうと計画し、行動している。頃合いを見計らって、Cが登場しさらに稼ごうと企てている。
 


 お分かりだと思うが、Aがトランプ大統領、Bが文在寅大統領、Xが金正恩委員長。ヤクザにたとえて大変恐縮だ。ヤクザだとは思っていない。たとえである。トランプ大統領は、「何が起こるかなんて誰も分からない。私はすぐに立ち去るかもしれないし、そのまま席に座って世界にとって最高のディール(取引)を成し遂げるかもしれない」といった発言をしている。「取引」という言葉を使うのが、適切だろう。
 


 こう書くと、今回はうまくいくかも知れないと期待できそうな気もするが、そうはいかないだろう。何故か。
 
 文在寅大統領は、自分の役割を理解して動いているわけではないだろう。
 金正恩委員長は、全てお見通しだろう。Xではない。いつも演じているのはAだ。
 


 経過はどうであれ、結果として、極東に平和をもたらしてほしい。

 金正恩委員長は、慌てているように見える。良い結果に至ったら、金正恩委員長は、ノーベル平和賞は無理かもしれないが、アカデミー賞ならもらえるかも知れない。名演技だ。
 


 スリルとサスペンスに満ちたドラマが展開している。しかし、これはドラマではない。一歩間違えると、とんでもない悲惨なことが起きるかも知れない。文字通り、日本存亡にかかわることが展開されている。
 
 
 それにしても、日本の野党はどこにいったのだろう。何やら忙しげで、こちらのドラマには端役としてすら登場しない。
 


<写真>
26日、板門店で抱き合う韓国の文在寅大統領(右)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国大統領府提供・共同)
https://www.sankei.com/world/photos/180527/wor1805270022-p1.html



2018年5月27日日曜日

(1250) 人間の根底を支えるもの~宗教など / 神谷美恵子『生きがいについて』(4-2) / 100分de名著

 
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(K0391)  生前整理 今を生きるために <仕上期>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0391.html
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第4回 28日放送/30日再放送
  タイトル: 人間の根底を支えるもの
 
Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50
再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 


【第4回の目次】

(1)  人間、言葉、自然
(2)  神谷恵美子と「変革体験」
(3)  使命感が人を動かす
(4)  血が通ったものを書き遺したい
(5)  支えとしての「変革体験」

(6)  宗教を超えて
(7)  二人の師
(8)  精神化された宗教・内面的な宗教
(9)  いかに生きるかではなく、いかに生かされているか
(10)「私」の問題から「私たち」の問題へ
 

【展開】今回は、(6)(10)
 

(6)     宗教を超えて

 若き日から神谷は無教会主義の信仰者だったが、長島愛生園での経験、『生きがいについて』の執筆を通じて、独自の宗教観にたどり着いた。癌を予感して、
 
===== 引用はじめ
 残る生命をいとおしみ、大切に生きること。夫と子供とそして自分に対して、なし得る事をなしとげて死ぬこと。やっぱり宗教が信仰がよりどころであろう。しかしそれは自分の心の底の真実なるものでありたい。他人や他人の集団にコンフォームしよう[したがおう]とするものであってはならない。(『日記・書簡集』)
===== 引用おわり
 


(7)     二人の師

 神谷には、師事した人物が二人いた。
   内村祐之。内村鑑三の長男であり、東京大学医学部精神科の医師。神谷の医学の師匠
   三谷隆正。内村鑑三の高弟で哲学者。神谷は三谷のことを「先生をこの世で出会ったほとんど唯一の師と思っている」と書き記している。
 


(8)     精神化された宗教・内面的な宗教

===== 引用はじめ
… 精神化された宗教、内面的な宗教は必ずしも既成宗教の形態と必然的な関係はなく、むしろ宗教という形をとる以前の心のありかたを意味するのではないかと思われる。

… 重要なのは、今自分のうちにあり、自分をとりまくこの大きな力のなかで生きていることなのだ、その力が宇宙万物を支えているのだ――。

 「生きがい」とは、「自分をとりまくこの大きな力のなか」に自己を発見していく道程に見出されていくというのです。
===== 引用おわり
 


(9)     いかに生きるかではなく、いかに生かされているか

===== 引用はじめ
… 「他律的な生きかたこそ真の自己としての道であると感じる」と書くように、生かされているときにこそ、真の自己がその姿を顕にする、と感じている。
 さらに、「生きがい」は、懸命に探し求めるという自力の営みからだけでなく、生かされている自分の発見から見出される。神谷は「私はいかにして生きるか」から「私はいかに生かされているか」への次元の転換が起きるとき、「生きがい」はそこに静かに姿を現すというのです。
===== 引用おわり
 


(10)    「私」の問題から「私たち」の問題へ

===== 引用はじめ
 一個の私でありながら同時に、人々のなかの私であるとき、人に「生きがい」を見る眼が開かれていく。そして、生きることが、私の営みでありながら、同時に「私たち」の営みであることを知る。
===== 引用おわり
 


<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載




2018年5月26日土曜日

(1249) 人間の根底を支えるもの~「変革体験」 / 神谷美恵子『生きがいについて』(4-1) / 100分de名著

 
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(K0390)  遺品整理 思い大切に <親しい人の死>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0390.html
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【第4回の目次】

(1)  人間、言葉、自然
(2)  神谷恵美子と「変革体験」
(3)  使命感が人を動かす
(4)  血が通ったものを書き遺したい
(5)  支えとしての「変革体験」

(6)  宗教を超えて
(7)  二人の師
(8)  精神化された宗教・内面的な宗教
(9)  いかに生きるかではなく、いかに生かされているか
(10)「私」の問題から「私たち」の問題へ
 


【展開】今回は、(1)(5)
 

(1)        人間、言葉、自然

===== 引用はじめ
 … 「生きがい」を見出すには、人間、言葉、自然と向き合う眼を開かなくてはならないようです。
 先の一節にあった三つの眼を列挙すると、一つ目は師、つまり信頼する人物に向き合う眼。二つ目の経典とは信頼に足る言葉を見出す眼。そして三つ目は、自然のような語らざる何かと向き合う眼ということになる。
 しかし、これらを別々に見る眼が必要だと神谷は考えているのではありません。人間、言葉、自然の現象を見る眼ではなく、その意味を感じる、意味の眼のようなものを開かねばならないというのでしょう。
===== 引用おわり
 
===== 引用はじめ
 人間、言葉、自然を通じ、大いなるものの声を聞き、「生きがい」と出会う。そのとき私たちに語りかけてくる最初の声は、今のままでよい、という現状肯定の語りかけだと神谷はいう。
 現状肯定というと、どこか難しく聞こえるかもしれませんが、過ち多き存在のままで、大いなるものに受け容れられる、ということです。
===== 引用おわり
 


(2)     神谷恵美子と「変革体験」

===== 引用はじめ
 神谷美恵子の「生きがい」の哲学を理解するうえで重要な鍵語のひとつに「変革体験」があります。ここで神谷がいう「変革体験」とは、「生きがい」に向かって人生を生きなおす契機になるような経験を指しています。…
 … 神谷がここで語っていることは、「生きがい」に「目覚める」経験だともいえる。
 眠りから「目覚める」とそこに朝がある。私たちが朝を作ったのではありません。朝を「待った」のです。そして「目覚め」、朝を発見する。「生きがい」は、朝のようなものです。
===== 引用おわり
 
===== 引用はじめ
 変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくとも、その自己の生が何か大きなものに、天に、神に、宇宙に、人生に必要とされているのだ、それに対して忠実に生きぬく責任があるのだという責任感である。
===== 引用おわり
 


(3)     使命感が人を動かす

===== 引用はじめ
 変革体験を経て人は、使命感を見出すと神谷はいいました。近藤(*1)は、自身のために聖書を読むということだけでなく、近藤のいう本当の「仲間」のために舌読(*2)をする。このとき彼は、自分でできると感じていた以上のちからを自分のなかに見出すのです。人は自分だけのために生きるよりも、誰かとのつながりに生きるとき、よりその人の中にあるものが開花する。近藤の生涯は、そのことをじつに見事に証明してくれています。

… 言葉を誰かに伝えていかなければいけない、それを必要としている仲間がいる、そこに彼と同時に彼の仲間を生かす「生きがい」が生まれてくるのです。
===== 引用おわり
(*1) 近藤: 近藤宏一。11歳で長島愛生園に入園。ハンセン病が悪化し、失明と四肢障害を負う。ハーモニカバンド「青い鳥」(写真を添付)を結成。近藤の存在は、『生きがいについて』の誕生において、とても大きな影響を与えた。
(*2) 舌読: 舌で点字を読む
 


(4)     血が通ったものを書き遺したい

<略>
 


(5)     支えとしての「変革体験」

 ホワイトヘッド(*)は、変革体験のことを「平和の体験」と呼んだ。
(*) イギリスの数学者・哲学者
 
===== 引用はじめ
 平和の体験によってひとは自己にかかずらうことをやめ、所有欲に悩まされることがなくなる。価値の転換がおこり、もろもろの限界を超えた無限のものが把握される。注意の野がひろくなり、興味の範囲が拡大される。その結果の一つとして、人類そのものへの愛がうまれる。(ホワイトヘッド著、神谷美恵子訳、『思想の冒険』)
===== 引用おわり
 
 変革体験は、単なる一時的な目覚めではなく、見えないところで、どんな時も自分を支えてくれる「人生の意味」の発見であるという。
 



<出典>
若松英輔(2018/5)、神谷美恵子『生きがいについて』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図は、この本からの転載


2018年5月25日金曜日

(1248)  (3)「やれないことはない」は母の影響 / 上原大祐

 
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(K0389)  定年後も働く(3) 高齢者雇用 拡大へ試行 <高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0389-3.html
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 「障害があっても、できないことはない」
 
===== 引用はじめ
 小さいときは、よく女の子に間違われました。でも、やっているのはやんちゃなことばかり。車いすをほうって川まではってゆき、魚やカニを捕ったり。車いすだってどれだけ壊したか分からないくらい。「障害があっても、できないことはない」っていうマインドは母の影響が強いかな。僕が自転車に乗りたいと言ったときも、母は「ダメだ」と言わないで、手漕(こ)ぎの自転車を探して持ってきてくれた。
===== 引用おわり
 


 普通学級への進学問題
 
===== 引用はじめ
 小・中・高とも普通学級に入りました。当初はなかなか認められなかったのを、母が学校や教育委員会に何度も頭を下げ、粘り強く交渉してくれたんです。普通学級への進学問題は、今もよく相談を受けますね。教育現場が「かかわり方が分からない」とか「けがをしたらどう責任を取ることになるんだ」と言うケースが多いんですが、そんなリスクは健常者だって同じでしょう。
 障害者に対する教育現場の意識は低い。車いすユーザーの子供たちを普通学級に受け入れることが、どれだけ(健常児の)「教育」になるか。体育の授業にパラスポーツを取り入れたら、「見学」じゃなくてヒーローになれるのに。
===== 引用おわり
 


 「やれない」って思ったら、その時点で終わりです。
 
===== 引用はじめ
 ただ、実は身近な人間の方が障害者への「差別者」になりがちなんです。家族や医療・福祉関係者とか。できるはずがない、危険なことはさせられないって最初から思い込んでしまうんですね。
 僕は車の運転はもちろん、カヌーも漕ぐし、ダブルダッチ(2本のロープを使う縄跳び)だってやる。腕の力だけで階段の上り下りもできる。「やれない」って思ったら、その時点で終わりです。
===== 引用おわり
 


<引用>
(3)「やれないことはない」は母の影響 / 平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐
【話の肖像画】 産経新聞(2018/4/12)
 
平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(3) 「やれないことはない」は母の影響
https://www.sankei.com/life/news/180412/lif1804120004-n1.html
添付写真(やんちゃだった子供時代 ~ 本人提供)は、このサイトからの転載


2018年5月24日木曜日

(1247)  気になる白鵬の「胸の汗」

 
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(K0388)  定年後も働く(2)退職者復職制度 <高齢期の仕事>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/05/k0388-2.html
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 新聞の投稿欄で、気になることが書いてあった。
 
===== 引用はじめ
 テレビ桟敷で観戦していて気になることが一つある。制限時間になった際の横綱白鵬の所作だ。ささいなことかもしれないが、タオルで顔やわきの下などの汗を拭き取るとき、胸の部分の拭き取りが十分でなく、いつもそこだけ光ったままの状態で仕切りに入っている。ちなみに他の力士には見られないことだ。
===== 引用おわり
 
 確かに、テレビで観ていて、汗が多いなと思ったことがある。
 
 

 因みに、「白鵬」「汗」で検索したら、沢山ヒットした。

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 評判が悪い。多くは「横綱の品格」を問題にしている。「禁じ手」という言葉も見られる。
 


 かつて、「秋山成勲のヌルヌルローション事件」というのがあった。

===== 引用はじめ
 実力からしても戦前から秋山有利とされていたが、結果は秋山の反則によるノーコンテストとなった。反則理由としては秋山が全身にローションのようなものを塗っており、身体を掴ませないように仕込んでいた。

 後に桜庭和志は、
『試合を公平な立場でやりたかった。組み技出身の選手がオイルとかローションを塗られてしまうと相手が掴めないのは当然ですし、レスリングでは身体に何か塗ってはいけないのは当たり前のこと。これだと公平に試合ができない。何よりもお客さんを喜ばすことができない。』
とヌルヌル事件について話している。
===== 引用おわり
https://kakutounokamisamanoko.com/akiyama-nurunru/
 

 白鵬がオイルとかローションを塗ることまではしていないだろうが、汗を拭かないと近い効果がでる。「試合を公平な立場で」できなくなる。
 


 白鵬が汗をふかないのが故意かどうか、私には分からない。仮に故意だと仮定した場合、私は少し違った見方をした。
 
 キーワードは「横綱の品格」ではなく、「書かれていないルール」だ。
 


 「汗を拭かなければならない」というルールは相撲に多分ないが、普通の日本人の感覚では、汗を拭くのは当然だろう。つまり「書かれていないルール」があって、日本人はそれに従うけれど、白鵬は従わない、ということが起こっている。「書かれていないルール」を守る日本人は、世界の中では少数派だろう。白鵬は元々日本人ではないのだから、「書かれていないルール」を守らなくても不思議ではない。
 
 しかしながら、相撲は日本の伝統的なものであり、それ故「書かれていないルール」も守ることが前提になっている。横綱白鵬は「書かれていないルール」も守らなくてはならない。
 


 日本人なら生まれながら「書かれていないルール」も守る、ということはないだろう。日本の文化の中で育っていくうちに、そうなっていった。
 
 白鵬が日本に来たのは15歳の時で、それまではモンゴルの文化で育ってきた。
 


 白鵬が角界に入ってから横綱になるまでに、「書かれていないルール」でも守らねばならない、と親方が教育できなかったことに、問題があると思う。
 
 「品格を持ちなさい」と言われても、どうすればよいか分からない。「汗を拭け」とはルールとして書いていないけれど、それは守らなければならない「書いていないルール」だから、それを守りなさい。とても単純なことだ。これが出来ていないところに問題があると思う。
 

 国際社会で必要なアプローチだと思う。
 
 「品格」を外国人に要求するならば、「品格をもて」と言うばかりではなく、どのようにすれば「品格」に近づけるかを具体的に示さねばならないだろう。それでも白鵬が汗を拭わなければ、「白鵬は横綱として品格がない」。
 


<出典>
鷺柳一、気になる白鵬の「胸の汗」
【談話室】産経新聞(2018/05/24)