2018年4月8日日曜日

(1202)  (11) 北村透谷『楚囚之詩』 / 「明治の50冊」

 
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(K0343)  自治会長就任あいさつ /自治会長奮闘記(12) <地域の再構築>
http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/04/k0343-12.html
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===== 引用はじめ
 大日本帝国憲法が発布された明治22(1889)年に発表された「楚囚之詩(そしゅうのし)」は16節、342行からなる長編詩である。うたわれているのは、政治犯として恋人、同志とともに獄舎に入れられた男の孤独な回想・空想・懊悩(おうのう)だ。
===== 引用おわり
(「楚囚」とは、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく囚人を意味する)
 


『現代詩』が『楚囚之詩』のキーワードになる。


===== 引用はじめ
 明治維新からわずか22年で、透谷の表現は、現代詩といえる域にまで到達していた。驚嘆を禁じ得ない。

 自分の思想や観念をどういう形で表現するか、透谷はもがきにもがき、「楚囚之詩」を書き上げる。こうして生まれた詩が現代詩の出発点となり、島崎藤村の「若菜集」へとつながってゆく。
===== 引用おわり
 
 

透谷の『現代詩』に、二つの要素がある。
 

一つ目は、「文語自由詩形式」

===== 引用はじめ
 発表の7年前に外山正一らの「新体詩抄」が発表されてはいたが、詩といえば漢詩であり、はたまた七五調に支配された和歌か俳句であった時代に、「新しい思想は新しい器に」といわんばかりに、文語自由詩形式で書かれた。「自序」にこう記している。
 《元より是(これ)は吾(わが)国語の所謂(いわゆる)歌でも詩でもありませぬ。寧(むし)ろ小説に似て居るのです。左(さ)れど、是れでも詩です、余は此(この)様(よう)にして余の詩を作り始めませう》
===== 引用おわり
 

二つ目は、「近代的自我」である。

===== 引用はじめ
 「注目すべきは、自分を見つめ続けた結果、透谷が近代的自我とそれを表現するための詩形を発見したことでしょう」
 
暗さ物憂さにも余は感情を失ひて
今は唯(た)だ膝を組む事のみ知りぬ、
罪も望も、世界も星辰(せいしん)も皆尽きて、
余にはあらゆる者皆、…無に帰して
たゞ寂寥、…微(かす)かなる呼吸
 (第10節から抜粋)
===== 引用おわり
 
 

透谷は5年後、縊死(いし)を遂げる。

===== 引用はじめ
 近代的自我の発見とは孤独の発見でもある。透谷は5年後、縊死(いし)を遂げる。壮絶な孤独感が、それを十分に予感させる。
===== 引用おわり
 


この詩は現代を生きる我々にも問いかける。
尾西康充さん(透谷研究で知られる三重大教授)はいう。
 
===== 引用はじめ
透谷のころに比べれば、我々は自由な時代を生きていると思い込んでいます。でも、本当に自由なのか。じつは何かに囚(とら)われているのではないか。真摯(しんし)に読めば、そう自分に問いかけるきっかけになると思います。
===== 引用おわり
 
 

【プロフィル】北村透谷(きたむら・とうこく)

 明治元(1868)年、神奈川県生まれ。本名・門太郎。22年に長編詩「楚囚之詩」、24年に劇詩「蓬莱曲」を自費出版。その後、主に日本初の本格的女性誌とされる「女学雑誌」で「厭世(えんせい)詩家と女性」など数多くの評論を発表。26年に島崎藤村らと「文学界」を創刊して浪漫主義文学運動を主導したものの精神に変調をきたし、27年、東京・芝の自宅で縊死(いし)した。
 


引用
北村透谷  楚囚之詩
近代的自我と孤独の発見
産経新聞(2018/04/02)
 
(11)北村透谷「楚囚之詩」 近代的自我と孤独の発見
http://www.sankei.com/life/news/180326/lif1803260011-n1.html
(添付図はこのサイトから転載)


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