2018年3月31日土曜日

(1194)  三車火宅の譬え/ 『法華経』(1-2) / 100分de名著

 
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http://kagayakiken.blogspot.jp/2018/03/k0335.html
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4月の「100de名著」、『法華経』。 Eテレ。
放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55
 及び        午後 00:00~00:25
 

今回は、
第1回  2日放送/ 4日再放送  タイトル: 全てのいのちは平等である
の後半
 

【項目】(番号は、前回からの続き)

(1)  当時の仏教界の様子を描く (P.25 - )
(2)  『法華経』を聞く心構えができる(P.28 - )
(3)  弟子たちを突き放す(P.29 - )
(4)  三乗は一仏乗を説くための方便(P.32 - )
(5)  パラドジカルな肯定による融合(P.33 - )
(6)  「菩薩のための教え」という掛詞(P.34 - )
(7)  三車火宅の譬え(P.36 - )
 


ここでは、「三車火宅の譬え」について書く。
 
動画があったので紹介する。
https://www.youtube.com/watch?v=HFEpyM3apjs
ここから一画面を転載した。
 
 
「三車火宅の譬え」

===== 引用はじめ
 ある資産家が豪邸に住んでいました。その家の中で子どもたちが遊んでいたとき、家が火事になりました。資産家自身は無事に脱出できたのですが、子どもたちはまだ家の中にいます。家事がいかに危険なものかを知らないため、父親がいくら外から「逃げなさい」と言っても遊びに夢中になって耳を貸そうとしないのです。
 さて、どうするか。「そうだ、息子たちが日頃から欲しがっているものがあった。おもちゃの羊の車と、鹿の車と、牛の車だ」と資産家は思い出し、それらをあげるから外に出てくるようにと言います。すると子どもたちはわれ先にと飛び出してきました。そして「お父さん、さっき言っていたおもちゃの車をください」と言ったところ、資産家は本物の立派な牛の車を子どもたちに与えました。
===== 引用おわり
 

<比喩>

家事になった家          … 苦しみに満ちた現実世界
遊びに夢中になっている子どもたち … 刹那主義的な生き方で六道輪廻している衆生
資産家              … 如来

おもちゃの鹿の車         … 声聞乗
おもちゃの羊の車         … 独覚乗
おもちゃの牛の車         … 菩薩乗
本物の牛の車(大白牛車)     … 一仏乗
 
 

意味するところを添付の表に示す。

  声聞乗と独覚乗の目的地は、ブッダではない
  菩薩乗と一仏乗の目的地は、ブッダである。共通しているが、

  菩薩乗は、二乗(声聞と独覚)を除外して菩薩しか乗れない(大乗の差別意識)
  一仏乗はあらゆる人を目的地のブッダに至らせることができる。だから、
  菩薩乗は「玩具の車」であり(声聞乗や独覚乗も玩具)
 一仏乗は「本物の車」である
 

 資産家は自分で子どもたちを抱えて連れ出そうと思えばできた。でもそれをやらなかった。ここに仏教の特質が出ている。
 ここで釈尊は、超能力や神がかり的な救済を説いたのではなく、方便などの言葉を駆使して、子どもたちの自覚的行動を促したのである。
 

出典
植木雅俊(2018/4)、『法華経』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)
添付図「法華経における三乗と仏乗の比較」は、この本からの転載



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