2017年9月23日土曜日

(1004) 悪は「陳腐」である / 『全体主義の起原』(ハンナ・アーレント_) (4)


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9月25日放送/9月27日再放送
100分で名著』 Eテレ 放映

月曜日   午後10:2510:50
()水曜日 午前05:3005:55、午後00:0000:25

 

第4回 悪は「陳腐」である

(1) アイヒマンとは何者か
(2) アイヒマンが突き付けた問題
(3) アーレントに向けられた批判
(4) 誰もがアイヒマンになりうる
 

<陳腐>

表題“悪は「陳腐」である”の「陳腐」を辞書で引くと「古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと」とあるが(デジタル大辞泉)、ここでは「ありふれて」の意味で使っている。

 
<アイヒマンとアーレント>

アイヒマンは、ナチス親衛隊(SS)の中佐だった人物で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、管理する部門で実務を取り仕切っていた。アルゼンチンに潜伏していたが拘束され、エルサレム法定の裁判(1961年)を受けた。

『全体主義の起原』を著したアーレントはその後、「人間」の歴史的起源を探り、その哲学的探求は、『人間の条件』として結実した(1958年)。
 

<『エルサレムのアイヒマン』:陳腐>

アーレントは自ら『ザ・ニューヨーカー』誌に志願し、特派員としてエルサレムに赴いて裁判を傍聴し、『エルサレムのアイヒマン』を著した。『エルサレムのアイヒマン』は、裁判の傍聴録という形を取りながら、全体主義体制における道徳的「人格」の解体について考察している。

アーレントによれば、アイヒマンは、どこにでもいそうな、ごく普通の人間だった(banal:陳腐)。若い頃から「あまり将来の見込みのありそうもない」凡人で、自分で道を拓くというよりも「何かの組織に入ることを好む」タイプ。組織内での「自分の昇進にはおそろしく熱心だった」とアーレントは綴っている。

アーレントが見たアイヒマンは、自らが「法」と定めたヒトラーの意向に従っただけの、平凡な官僚だった。たまたま与えられた仕事を熱心にこなしていたにすぎず、そこには特筆すべき残忍さも、狂気も、ユダヤ人に対する滾るような憎しみもなかった。

 
<複数性>

悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」を持った非凡なものであるという思い込み、期待、あるいは偏見。近代の法体系ですら、それを前提としているとアーレントは指摘している。

アイヒマンを死刑に処すべき理由は、彼に悪を行う意思があったかどうか、彼が悪魔的な人間だったかどうかということとは関係なく、人類の「複数性」を抹殺することに加担したからだと主張している。

人間は、自分とは異なる考え方や意見もつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていた。多様性といってもいいだろう。アイヒマンが加担したユダヤ人抹殺という「企て」は、人類の多様性を否定するものであり、そうした行為や計画は決して許容できない。

 
<実験>

条件が整えば、誰でもアイヒマンになり得る。このことは、「ミルグラム実験」や「スタンフォード監獄実験」で示された。ごく普通の人も、一定の条件下では権威者の命令に服従し、善悪の自己判断を超えて、かなり残酷なことをやってのける。
 

<無思想性>

考えるという営みを失った状態を、アーレントは「無思想性」と表現し、アイヒマンは完全な無思想に陥っていたと指摘する。

アーレントのいう無思想性の「思想」とは、そもそも人間とは何か、何のために生きているのか、というような人間の存在そのものに関わる、いわば哲学的思考である。

私たちは日々、いろいろなことを考えている。しかし、本当に「考える」ことができているだろうか。実は既成観念の堂々めぐりを「無思想に」処理しているだけではないだろうか。

 

10月は、『歎異抄』 講師:釈 徹宗

===== 引用はじめ
信じる心は一つである。

 浄土真宗の開祖・親鸞の教えは逆説に満ちた革新的なもので、それゆえに現代に至るまで多くの人々を救う一方、少なからぬ誤解も受けてきた。「悪人正機」をはじめとする『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちた親鸞の生き方から、現代社会をよりよく生きるためのヒントを探る。
===== 引用おわり
テキストは、9月25日発売予定。
20164月のアンコール放送で、当時のテキストがそのまま利用できる。

※ このFacebook(Blog)では取り上げ済み【(467) (473) (480) (487)】なので、
  新たには書かない。

 

出典:
仲正昌樹、ハンナ・アーレント『全体主義の起原』、「100DEで名著」、NHKテキスト(2017/9)

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