2017年7月26日水曜日

(945) 日本社会における儒教の影響 / 仏教と儒教(14)


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 日本の近世社会において儒教の影響は広範なものがあった。一般に儒教は封建思想として簡単に理解されるが、具体的には複雑多様な社会的機能を果たしていた。教育的啓蒙的な意味もあり、近代教育制度も儒教から形成された。また近代的な合理主義は儒教の用語で説明された。幕末において、日本の危機を訴えたのも儒教の政治思想が基本となっている。日本儒教は縦横に変化して日本社会に対応していた。


【構成】  第14章 日本社会における儒教の影響
 1 儒教の多様な機能
 2 儒教と近代合理主義 - 懐徳堂
 3 儒教と近代教育制度 - 広瀬淡窓
 4 儒教と明治維新 - 松田松陰
 

【各論】

 儒教の多様な機能

   思想の多様性
 日本儒教には朱子学・陽明学があり、これを批判して古学があり、さらに朱子学と古学の所説を取捨選択する折衷学があった。中国や朝鮮には、このような多様性はない

   機能の多様性
 日本儒教には、徳川幕藩体制(社会構造)に対応しあらたに求められた「人倫」という観念(思想)が背景に働いているが、中国や朝鮮の儒教にはこのような機能はない。あるのは、宗族(社会構造)に対する「孝」(思想)、科挙・士大夫(社会構造)に対する「聖人」「修己治人」「仁」(思想)である。

   多様な機能の具体的形態と支持階層
 日本儒教における代表的な機能のひとつは今日いうところの初等中等教育を推進することに不あったと理解することができる。藩校・寺子屋などでは、素読・手習いなどというかたちで実利的な読み書きの能力を授けると同時に、社会(人間関係)に生きるうえで必要な道徳(仁義・忠孝など)の存在を教えた。
 日本において儒教は、士道のように武士の学問であり、また仁斎や懐徳堂のように町人の文化でもあり、上総道学のような農民の学問でもあった。

 
 儒教と近代合理主義 - 懐徳堂

 1724年に創設された懐徳堂は、大阪の町人による私塾であるが、1726年には幕府の官許を受けて大阪商人の公的学問所として承認された。懐徳堂の学問は、大阪の町人を対象とするが、一地域の町人の枠を超えたきわめて個性的・独創的な業績を残している。
 代表的な学者として、徹底した合理主義者、片山蟠桃がいる。その思想の特徴は、神秘主義の排除であった。
 

 儒教と近代教育制度 - 広瀬淡窓

 広瀬淡窓は1817年に私塾・咸宜園を開いた。塾生の出身者は、大村益次郎、高野長英など多数いる。
 咸宜園が画期的であるのは、これまでの私塾が少人数教育でいわば一種自由放任主義の段階にあったのとはことなり、教育制度(学制)に対する明確な構想を示したことであろう。

 
 儒教と明治維新 - 松田松陰

 松陰は、日本という国家が本来どうあるべきかを考え、また現在いかなる危機にあるかを認識した。しかし、松陰という思想家が重要である所以は、たんなる幕末の志士というのではなく、その人格が徹底的に誠実であることにつきるのであろう。

 

引用
高島元洋、「第14章 日本社会における儒教の影響」
竹村牧男・高島元洋編、仏教と儒教~日本人の心を形成してきたもの~、放送大学教材(2013)

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