2017年4月21日金曜日

(849) 怒り、愛、勇気


前回紹介した稲垣 謙二さんの投稿を再録する。

===== 投稿 引用はじめ

今朝電車内で、私の前の席に座っている2人が喧嘩を始めた。

女性の荷物が邪魔であることを隣の男性が注意したことが発端のようである。女性の方が逆切れして、感情的になっている。どうも男性から「おばさん」と呼ばれたことが気に食わないらしい。

結局、おば…、いや女性の勢いに負けて、「日本語の使い方には気を付けろ」と説教された上で男性が逆に謝るという羽目に合っていた。座席の隙間から見ると、明らかに女性はマナー違反をしているのに…。

===== 引用おわり

 
これに対して、次のお二人のコメントをセットにすると、
完璧なコメントになると思った。

 
===== コメント(A) 引用はじめ

荒木 裕子さん:  私が人様にちょっと言いにくいことをご指摘する時は、常に「そこ(私が発するその人への言葉)に愛はあるのかい?」と振り返るようにしています。

言われて嬉しいことではない以上、懐に入る言葉でないといけない気がする。おばさんという言葉を選んだ時点で、仮にオバサンが悪いとしても、傲慢な指摘な気がします。

===== 引用おわり

 
===== コメント(B) 引用はじめ

Sachiyo Kobayashiさん: 10月に帰国して以降、車内で怒鳴り声を聞くことが数回ありました。以前はこんなことあったかなぁ〜と思いながら。

イライラしてる人、心の中に怒りを溜めて暮らしている人が増えたような気がします。残念ですけど。

===== 引用おわり

 

小学生の時に、不思議だなと思ったことがあった。

 
とても厳しく私達をよく叱ったA先生と、
いつも優しく声掛けしてくれた優しいB先生がいた。
  
私はB先生が好きだったが、A先生をもっと好きだった。
友達も同じみたいで、不思議だった。何故だろうと考えた。

その時に私が到達した答えは、「A先生に愛がある」だった。

 
文字にして印刷すると同じ言葉であっても、
愛から出た言葉か、怒りから出た言葉か、子どもでも、よくわかる。

 

怒りにかられて出した言葉は、相手に届かない。
怒りがおさまるのを待ってから発言するのがよい。

 
愛には三段階ある。私への愛、あなたへの愛、第三者への愛。
愛の質が上がって来た時点での発言は、相手に届く可能性が高い。

「甘い」と言われるかも知れないが、私はそう信じている。

 

もう一つ書く。

(847)で、踏切内に人がとどまっている人を見つけた時に、
非常停止ボタンを押す勇気について述べた。

この勇気は、どのようにすれば出てくるのか。

 
私への愛 → あなたへの愛 → 第三者への愛
と愛が浄化した時、勇気が出てくると思う。

 

日頃より愛の質が高まっていたら、
勇気をもって「正しい行い」ができるようになり、
相手に届く言葉を発することができるようになる。

ここでいう「正しい行い」とは、「人間として正しい行い」である。

 
 
(842)で触れた自問に対する答えも、ここにある。

===== 再録はじめ

煙草を吸っている高校生がいて、本当に私は「吸ってはいけない」と言えるか。
シルバーシートで年寄りを立たせて平気で座っている若者に「席を譲れ」と言えるか。

===== 再録おわり

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