2017年2月28日火曜日

(798)  「心の健康とは」


「心の健康とは」

===== 引用 はじめ

高良武久:「健康な生活をすれば、心も健康になる」


      建設的な作業をつづけることができる

      物事をあるがままに見、あるがままに判断することができる

      他人に対して愛情をもつことができ、
人の幸福を喜び、不幸を悲しむことができる

      自制心、反省心をもっている

      自分の行動に責任をもつ

      精神的弾力性があって融通がきく

      ユーモアを解し、人生を楽しむゆとりがある

 
「森田療法のすすめ - ノイローゼ克服法」(白揚社)より

=====

 
素晴らしいと思う。

素晴らしいと思う理由は、次のとおりである。

 
(1)     妥当である(と私は主観的に思う)

(2)     否定として定義されていない

(3)     チェックリストとして活用可能である

(4)     指針として活用できる

(5)     負から零へも、零から正へも、使える


 
<詳細>
 
(1)     妥当である(と私は主観的に思う)

 「心の健康」を示す、良い指標であると思う。
 統計法により客観的に妥当性を示したのではない
主観的に、妥当・適切だと思う。

 

(2)     否定として定義されていない

 「心が健康でない(うつ病、神経症、統合失調症など)」ではないのが「心の健康だ」といった言い方はしていない。そのため。(3)以降が言える。

定義の仕方は、WHOの考え方と似ている。

===== (日本WHO協会)引用 はじめ

WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

===== 引用 おわり

 

(3)     チェックリストとして活用可能である

 現在、「心の健康」が良い状態か悪い状態かの目安を得られる。あるいは、良くなりつつあるか悪くなりつつあるかの目安を得られる。あるいは、なんらかの行動や処置によって「心の健康」が改善されたか又は改悪されたかの目安を得られる。

 

(4)     指針として活用できる

書き換えると、「心の健康」を推進するための指針として活用できる。

=====

    建設的な作業をつづけよう

    物事をあるがままに見、あるがままに判断しよう

    他人に対して愛情をもち、
人の幸福を喜び、不幸を悲しもう

    自制心、反省心をもとう(自制しよう、反省しよう)

    自分の行動に責任をとう

    精神的弾力性をもち融通がきかせよう(融通を聞かせ、精神的弾力性を保とう)

    ユーモアを解し、人生を楽しむゆとりをもとう(ゆとりをもって人生を楽しもう)

=====

 

(5)     負から零へも、零から正へも、使える

 「心の健康」が低下した状態から普通に戻すのにも利用できるし、普通の状態から「心の健康」を更に増すためにも利用できる

 

(参考)

  「心の健康」7項目は、次の資料で知った
 
森昭三、「学校教育への森田理論の導入・活用」、
「メンタルヘルスニュース No.30」(20129月)P.4
編集・発行: メンタルヘルス岡本記念財団

 
  上記資料は、次の研修会で知った

「西洋の心理療法と森田療法」(2017/02/26
 主催: 関西国際大学心理臨床研究所、メンタルヘルス岡本記念財団
 
 

(797) マーサズ・ヴィンヤード島の聴覚障がい者


(797) マーサズ・ヴィンヤード島の聴覚障がい者

 
「ハンディキャップのない社会が存在し得た」という話である。

 
===== 引用 はじめ
マーサズ・ヴィンヤード島は、マサチューセッツ州南東部の大西洋岸から8キロほど沖合に浮かぶ島である。
この隔離された島には、よそでは見られない特徴があった。… 島では300年以上にわたり、先天性のろう者の数が飛び抜けて高い比率を示した。これは遺伝性の聴覚障害が原因だった。
===== 引用 おわり
*1 

 
数字で言うと、

 
===== 引用 はじめ
マーサズ・ヴィニヤードで出生した者の155人に1 (0.7%) が聾者だったと推定しており、この数字は合衆国全体の数字(2,730人に1人、0.04%)の20倍だという。

19世紀遅くに聾者と正常者の結婚は、全聴覚障害者の結婚の65%であったというが、これは全米平均の20%よりかなり高い。
===== 引用 おわり
*2  Wikipedia 『マーサズ・ヴィニヤード』

 

この島で聾者として生まれた人は、皆と同じ学校に通い、当たり前に就職し、あたり前に結婚するという。そして、聾者もそうでない人も、誰も困っていないという。

何故か。

===== 引用 はじめ
ヴィンヤード島では、300年以上にわたり、健聴者が島の手話を覚え、実生活の場でそれを用いていた。島の健聴児の多くは、ちょうどメキシコとの国共沿いでくらす今日のアメリカの子供が英語とスペイン語を覚えてしまうのと同じように、英語と手話という二言語を完全に併用しながら大人になっていった。
===== 引用 おわり
*1 

 

これは何を意味するか。

===== 引用 はじめ
だれ一人聴覚障害をハンディキャップと受け取らなかったという意味で、ハンディキャップのない社会が存在し得たことを実証してみせたのである。
===== 引用 おわり
*1

===== 引用 はじめ
ろう者の社会生活や職業生活を制限しているのは、聞こえないという障害ではなく、まわりの健聴世界との間に立ちはだかる言葉の壁なのだ---ろう者がしばしばこう発言しているのを考えると、ヴィンヤード島で見られた情況には大きな意義があるといえよう。

そのような壁が取り除かれたとき、どのような情況が生じるのだろうか。ろう者は、そしてまたほかの障害者は、社会が万人に適応しようとした場合、自由に社会にとけ込めるのだろうか。

障害者や障害者の集団が、障害者の問題の多くは、肉体や感覚や精神の障害から生じるのではなく、障害者のまえに立ちはだかっている壁---つまり人間関係や障害者観や法律の壁から生じるのだということを声高に主張している。彼らの言い分はこうである。

 「少しだけこちらに合わせてください。そうすれば社会のお役に立てますから」
===== 引用 おわり
*1


(注)この話を知ったのは、植戸貴子教授(神戸女子大学健康福祉学部)の講演による

(注)*1 は、「『みんなが手話で話した島』1991/11 ノーラ・エレン グロース、 正信, 佐野」を紹介したサイトである
 
 

2017年2月27日月曜日

(796) 日本の童謡


2017222日(水) BS朝日 放映済み
“歌を忘れたカナリヤは…”
日本の童謡 鈴木三重吉と「赤い鳥」運動

 

童謡は、いいな!

聞いていて懐かしいというか、安心できるというか。
童謡を聞いていた子どものころは幸せだったのだろうなと思う。
感謝の気持ちもわいてくる。

 

「“童謡”が生まれて約100年」だそうだ。
ということは、「約100年前より以前には、童謡はなかった」ということになる。

===== 引用 はじめ

童謡(どうよう)とは、大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲のこと。学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌とは異なる。

古くは子供の歌といえば、いわゆるわらべ歌であった。明治期に西洋より近代音楽が紹介されると、学校教育用に唱歌(文部省唱歌)と呼ばれる多くの歌が作られた。これらは徳育・情操教育を目的に、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものである。

===== 引用 おわり

 

では、100年前に、どのように童謡が始まったのか。
「かなりや」が第一号らしい(19195月)。

===== 引用 はじめ

日本で初めて、曲のついた童謡として発表されたのは、「歌を忘れたカナリヤは…」で始まる「かなりや」。「赤い鳥」に発表された西條八十の詩に、成田為三が曲をつけたものです。大きな反響を呼んだ「かなりや」以降、「赤い鳥」には毎号童謡が掲載されました。その「かなりや」ほか、「あめふり」「この道」など、現代でも歌い継がれる童謡 

===== 引用 おわり

 

童謡の発表は、「赤い鳥」から始まった。

===== 引用 はじめ

こどものための純粋な文学を作ろうとしたのが、広島出身の文学者・鈴木三重吉でした。 …

鈴木三重吉が発刊した児童雑誌「赤い鳥」は当時の人々に受け入れられ、児童文学運動の一大ムーブメントとなりました。その創刊号に寄稿したのは、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声…著名な文豪たち!

===== 引用 おわり
同上

 
そもそもの始まりは、「赤い鳥」は児童文学雑誌であり、童謡集ではなかった。しかし、発刊を重ねているうちに、詩に曲を付けてほしいという要望があり、「赤い鳥」に童謡を掲載し始めた。

「赤い鳥」が多く売れたので、似た本がたくさん出版されるようになった。「金の船」もその一つで、その中でも「七つの子」など、童謡が掲載された。

 

今回の番組で紹介されたのは、「椰子の実」(元々は童謡ではない)、「七つの子」「かなりや」「この道」「あめふり」「十五やお月さん」「青い目の人形」「シャボン玉」「背くらべ」「夕焼け小焼け」「どこかで春が」

 
うまい下手を問わなければ、私は全部歌える。
私の子どもは、歌えるだろうか?

 

次の放映予定

31日(水)放送】 22:00 – 23:00 BS朝日

思わず納得!勉強になるイソップ物語
 「北風と太陽」「ウサギとカメ」ほか



2017年2月26日日曜日

(795) よいものはカタツムリのように進む / ガンディー『獄中からの手紙』(4)


~ 『100分で名著』 227() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~

 
ガンディーは、「無抵抗主義」で有名だが、それだけではなく、数多くのコンセプトを提示しており、そこから学ぶものが多い。

 

(1)   スワラージとスワデーシー

(2)   富の流出

(3)   チャルカーとガーディー

(4)   よいものはカタツムリのように進む

(5)   一方的な喜捨は怠惰を助長する

(6)   信託の思想

(7)   拡大より持続

(8)   ダルマとトボス

(9)   この木を見なさい

(10)             知足の精神

 

 

<詳細>

 

(1)   スワラージとスワデーシー

「スワデーシー」は、ガンディーが提唱した非常に重要な概念である。

===== 引用 はじめ  ( P.96
これ(スワデーシシー)は、しばしば「自国産品愛用運動」と訳されるのですが、ガンディーは単に「インドの独立のために、外国製品を排除して自国産品を使え」と言ったのではありません。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P.96 – P.97
「スワラージ」が単なる独立を意味しているのでなく「自己統制」の意味を含んでいたように、スワデーシーも単なる外国排斥運動ではない、深い意味をもっていました。
スワデーシーは憎悪崇拝ではありません。それはこのうえなく純粋なアヒンサー(愛)に根ざした無私の奉仕の教理です。
===== 引用 おわり

 

(2)   富の流出

===== 引用 はじめ  ( P.98 – P.99
インドは綿花をイギリスに輸出しながら、それを加工した布製品を大量にイギリスから輸入していました。もちろん、原材料よりも加工品のほうが高価ですから、市場の論理でインドの富はどんどんイギリス領に流出していくことになる。… これを「富の流出」と呼んだのです。
… 
そこで出てきたのが「スワデーシー」という概念でした。外国製品よりも品質が悪く高価な場合でも、自国産品を買うべきだというのです。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P.99
多くの独立運動家たちは「インドでも機械化を進め、イギリス製品に対抗できる高付加価値商品を大量生産できるようにしよう」と考えました。…

ところが、ガンディーはこれを否定します。 … 

… 同じ市場経済の論理で動くなら、インドがまた「もう一つのイギリス」になるだけではないか、と言うのです。
===== 引用 おわり

 
 
(3)   チャルカーとガーディー

===== 引用 はじめ  ( P.100 )
「スワデージー」の「スワ」は「スワラージ」と同じ、「自らの」という意味。一方「デーシー」は「国」という意味もあるのですが、同時に「土地」「大地」という意味も含んでいます。…「土地の製品」という言葉があるように、自分が暮らす土地との関係を強く意識した概念なのです。

そこから出発して、ガンディーがスワデーシーという概念の中核に置いたのは、手工業や手仕事の重視でした。その象徴となるのが、「チャルカー」と「ガーディー」です。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P.100
チャルカーは、手でカラカラと回して糸を紡ぐ手紡ぎ車のこと。… チャルカーは、そして手で糸を紡ぐという行為は、インドでは忘れ去られていたのです。

ガーディーは手織り木綿布のことを指します。チャルカーを使って自分で糸を紡ぎ、その糸でガーディーを織り、自分で衣服をつくって身につけよう。それがガンディーの提唱した「チャルカーとガーディー」運動でした。
===== 引用 おわり

 

(4)   よいものはカタツムリのように進む

===== 引用 はじめ  ( P.105
この鉄道の対極に、ガンディーは「カタツムリ」を置き、「よいものはカタツムリのように進むのです」と言います。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P.106
… ものすごいスピードで進んでいく近代社会が過剰な欲望を生み出し、それがさまざまな社会問題を引き起こしているとガンディーは考えていた。この「過剰な欲望」を排除しなくてはならないという発想が、スワデーシーには色濃く見えるのです。
===== 引用 おわり

 

(5)   一方的な喜捨は怠惰を助長する

===== 引用 はじめ( P.107 – P.108
スワデーシーを考える上で非常に重要なのは、経済と倫理が一体化した論理としてガンディーの中に成立していることです。彼の中で、経済と倫理は絶対に切り離せないものでした。
つまり、ガンディーは物質的要求を最大化させるような近代資本主義、あるいは消費主義というものを何らかの形で牽制しなくてはならないと考えていた。同時に、非市場経済的な福祉政策、国家による再配分を非常に重視していたのです。

この「再配分」に関連して、ちょっと意外に感じるのが、広い意味で再配分の一部ともいえる寄付、喜捨や慈善についてのガンディーの考え方です。彼は、これらの行為について非常に懐疑的な立場を取っていました。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ( P.108
たとえば「一方的な喜捨は怠惰を助長する」と言っています。物乞いの人に出会ったときに、すぐお金や食事を与えることは正義ではない。特に、身体的なハンディキャップがあるわけでもない人の場合は、金やものを与えることでその人が「物乞いであり続ける」ことを助けてしまうことになる。その人自身がダルマ(役割)を果たす機会を奪ってしまっていることになっているのではないか、、と説くのです。
===== 引用 おわり

 

(6)   信託の思想

===== 引用 はじめ  ( P.109
 ガンディーが再配分について考えるときに重要視していたのが「神託」の思想です。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P.109
これは、この世のあらゆるものは、真の意味で「私のもの」ではなく、神から一時的に預けられたものに過ぎないという考え方です。自分のものだと思っている金も土地も、神から託されたものなのだから、それを使って一方的な搾取をしてはいけない。「神から預かったもの」として自分たちの所有物を扱いなさい、とガンディーは言うのです。
===== 引用 おわり

 

(7)   拡大より持続

===== 引用 はじめ  ( P.112 – P.13
… 彼(ガンディー)が考えたのは、「拡大より持続」でした。
これはおそらく、今後世界が直面していくであろう資本主義の行き詰まりに対して、一定のビジョンと道筋を示す思想だと思います。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  ( P. 113
… 資本主義というのは、「外部」を失った瞬間に拡大できなくなります。中国やインドが発展途上国といわれていた時代には、そこが先進国にとっての「外部」でした。しかしいまや中国もインドも大国化している。次なるフロンティアはアフリカぐらいしかあれませんが、それもすぐに発展して「外部」と呼べなくなるでしょう。そうしてついに新しい市場を見いだせなくなれば、経済は失速するしかありません。
===== 引用 はじめ

 

(8)   ダルマとトボス

最近増えている居場所や子ども食堂がトボス、その背景にあるのが、「ダルマ」でしょうか、

===== 引用 はじめ  ( P.114 - P.115
「ダルマ」については、… 実定法を超えた宇宙全体の法則のようなものであり、自分がその中の有機体において果たすべき役割という意味ももちます。

一方「トポス」は、もともとギリシャ語で西洋的な概念なのですが、「場所」を意味します。それも、単なる場所ではなくて、それぞれの人が意味づけられている場所、その場所に生きる人が「私がここに生きている意味がある」と感じられるような場所がトポスなのです。
===== 引用おわり

 

(9)   この木を見なさい

===== 引用 はじめ  (P.121
この木は夏には多くの動物に木陰を提供し、小鳥たちに実を分け与える。二酸化炭素を吸い、酸素をはき出す。しかし、この木は『自分はよいことをしている』自意識をもっているのだろうか。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  (P.121
この木は何のはからいをもつことなく、その場で自分の役割をただ果たし続けている。このダルマこそが、宇宙を構成するものだ。余計なはからいを捨てて、自分の場所で自分の役割を果たすことの重要性を、この木は伝えているのではないか。
===== 引用 おわり

 

(10)             知足の精神

===== 引用 はじめ  (P.122
ガンディーは、「知足の精神」ということを言っています。知識と足はつながっていないといけない、その片方だけでは意味がない。つまり、哲学は行動しなくてはいけないし、行動は哲学を伴っていなければならないということです。
===== 引用 おわり

===== 引用 はじめ  (P.122
その上で「われわれはみんな、おのれの持てる力量を人類のために供出しなければなりません」と言っています。そのために生きよということこそ、ガンディーの最大のメッセージだったと思います。
===== 引用 おわり

 

引用:

中島岳志(2017/2)、『獄中からの手紙』、100de名著、NHKテキスト

写真:アーシュラム、チャルカーをあしらった旗


 

 
3月は、

『宮沢賢治スペシャル』(予定)