2017年2月15日水曜日

(783) 「面倒くさい」 / 『おむすびの祈り』 (1)


===== 引用 はじめ (P.19

 私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。

ある線までは誰でもやること。

そこを一歩超えるか超えないかで、

人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、

このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩超えて。

ですからお手伝いいただいて、

「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれると、

とても寂しく感じるのです。

===== 引用 おわり

 

 

私は、ここぞというところでは、合格点に達した後でも追究をとめない。「何の為にそんなに不必要な事をするのか」、「無駄ではないか」、「無意味ではないか」と言われつつも、追い求めて行く。私の現在もっている特殊な力の多くは、その「不必要」「無駄」「無意味」から得たものだと思う。

 

「ある線までは誰でもやること。そこを一歩超えるか超えないか」という、越すに値する「ある線」を感じたときにやる気がおこるのだろう。そして、その線を踏み越えるエネルギーは、その対象への愛から沸き起こっているのではないだろうか。

 

「面倒くさい」というのは、その愛が足りていない状態ではないか。だから初女さんは、
「寂しく感じる」。 「間違っている」とか「そうすべきではない」とは言っていない。

 

お料理を作っていて、面倒くさいとはちっとも感じない初女さん。そこに彼女の生きる姿勢のすべてが反映されているのではないか。

 

 
佐藤初女(2005) 『おむすびの祈り』、集英社文庫

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