2017年2月10日金曜日

(779) 純粋と多様性


「純粋な集団」と「不純な集団」とどっちが良いか
「純粋な集団」の方が良く見える。

「多様性に富む」集団と「画一的な集団」とどっちが良いか
「多様性に富む集団」の方が良く見える。

ならば、「純粋で多様性に富む集団」が良いことになる。

 
ちょっと待て。

 
ここで「純粋」は、
「まじりけのないこと。雑多なものがまじっていないこと」
という意味で使っており、

「邪念や私欲のないこと。気持ちに打算や掛け引きのないこと」
という意味では使っていない。


ここで「多様性」は、
「いろいろな種類や傾向のものがあること。変化に富むこと」
という意味で使っている。

 
とするなら、「純粋」と「多様性」は両立しにくい。
この種の矛盾が世の中によくあるのではないか。

何故か。

 

言葉にはイメージがあり、
「純粋」とか「多様性」は良いイメージをもっていて、
政治家などは、良いイメージを演出するために、
そのような言葉を多用しているのではないか。

 
実際は、
「純粋」(まじりけがない)の良い面もあれば、悪い面もある。
「多様性」(変化に富む)の良い面も悪い面もある。
それらを、どう織り込んでいくかが肝要だろう。

 
また、「純粋」と「多様性」とは矛盾がある言っても、
鎖国をしていた江戸時代には、
「純粋」の上に
元禄文化のような多様性のあるものを
生み出している。

 

そういったことをしっかり考えることなく、
耳触りの良い言葉が、
あちこちにフワフワと虚しくただよっている
そんな感じがしている。

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