2017年1月28日土曜日

(767) 「死」を「詩」にする / 中原中也詩集(4)


~ 『100分で名著』 130() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~

 
===== 引用 はじめ

「頑是ない歌」


思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然しょうぜんとして身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟ひっきょう意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ

===== 引用 おわり

『在りし日の歌』より

 
素直に読める詩である。
自分の心にこれを入れ込んで、無理はない。

力まずに生きて行ってよいという気にさせてくる。

海援隊のヒット曲「思えば遠くに来たもんだ」に使われたことでもよく知られている。

 

===== 引用 はじめ  P.83

「また来ん春……」

また来(こ)ん春と人は云(い)う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此(こ)の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

===== 引用 おわり

『在りし日の歌』より

 
長男文也が小児結核にかかり、わずか2歳でその生涯を閉じた。
文也の死からほとんど時間が経っていない時期の作である。

 

引用:
太田治子(2017/01)、『中原中也詩集』、100de名著、NHKテキスト

 

写真は「夏の夜の博覧会はかなしからずや」草稿の冒頭部。乱れた筆致に中也の嘆きが表れている。1936/12/12に書かれ、24日に推敲されたと考えられる。長男文也が亡くなったのは、1936/11/10
 


もう一つの写真は、「文也と遊ぶ中也」

 

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