2016年12月25日日曜日

(733) 「野生の思考」は日本に生きている/レヴィ=ストロース「野生の思考」(4-2) このシリーズおわり


~ 『100分で名著』 1226() 22:25 22:50 Eテレ 放映 ~

 
日本に生きている「野生の思考」

(1)   職人の仕事
 日本の労働はポイエーシスであり、柳宗悦のいう「民藝」「用の美」と深く関わっている

(2)   ゲーム
 ポケモンというキャラクター自身が「自然を人間化する」という主題にとり組んでいる

(3)   ゆるキャラ
 「ゆるキャラ」は、動植物の精霊が人間の世界に入り込んできた姿である

(4)   料理
 日本の料理に見られる、感性や美意識の領域での「ディヴジョニズム(分割主義)」

(5)   市場
 築地市場での物の豊富さと多様性と並べ方の美しさは、世界中の博物館にまさるものがある

(6)   これからの日本
 私たちもグローバリズムの現代と対峙しながら、自然との間に調停点を生み出そうと努力してきた日本文化の特性を生かした次なる世界を構想していかなければなりません

 

<説明>


(1)   職人の仕事

日本の労働はポイエーシスであり、柳宗悦のいう「民藝」「用の美」と深く関わっている

===== 引用 はじめ  P.89 – P.90 , P.91 – P.92

古代ギリシャでは、働くことを「プラクシス」と「ポイエーシス」という二つの言葉で表現していました。

プラクシスというのは、普通「実践」などと訳されますが、古代ギリシャではもともと、行為する人間が自分自身の目的のために事物を「使用する」という意味で用いられました。それに対してポイエーシスには、事物をそれ自体の目的のため、あるいは使用する人のために「つくり出す」という意味があります。 … それは、「土や木が望んでいることを実現する」という考え方に近く、いわば自然物の中に隠されている目的を外に取り出して、役に立つ用具にしたてるという作業が職人の仕事であり、ポイエーシスだということになれます。


レヴィ=ストロースは、労働概念の中にこのポイエーシスの要素を取り戻そうと考え、それが日本の職人の中に生きているはずだと睨んだのです。 … この推定はまったく正しいと思います。なぜなら、ここでポイエーシスと呼ばれいているものは、柳宗悦が日本語で「民藝」と呼んだものと深く関わっているからです。

柳宗悦は、「用の美」といいました。機能的な用途を持ちながら、多くの民藝的作品がたとえようのない美しさをたたえているのはなぜか。 … 柳宗悦は「受動性」ということを考えました。芸術家が自分のプランを対象物である木や土に押し当て、それを変形して使うことで作品をつくるのではなく、職人が自然物の中に隠れている本来の機能を受動的に取り出して民藝品をつくると、それを使用する庶民の感覚にぴたりとはまります。これが、民藝の基本的な思想ですが、それはまさに、プラクシスに対するボイエーシスにあたるものです。

===== 引用 おわり

 

(2)   ゲーム

ポケモンというキャラクター自身が「自然を人間化する」という主題にとり組んでいる

===== 引用 はじめ  P.100 , P.101

ポケモンというキャラクター自身が「自然を人間化する」という主題にとり組んでいます。モンスターという人間の外のある存在とインターフェイスをつくって、自分の身近に持ってくる。

おそらくこの「自然を人間化する」ことに巧みであることが、ゲームやアニメのような日本文化の産物の「クールさ」のおおもとになっています。「クール」は文字どおり「冷たい社会」の思考である「野生の思考」が生み出すもので、そのためポケモンは極上の「クールさ」をたたえているのでしょう。

===== 引用 おわり

 

(3)   ゆるキャラ

「ゆるキャラ」は、動植物の精霊が人間の世界に入り込んできた姿である

===== 引用 はじめ  P.101

さらに追及を深めれば「ゆるキャラ」などもあやしいと思います。私はこれは縄文時代の土偶の伝統につながる作品だと思っています。「ゆるキャラ」は、梨であったり、熊であったりと、動植物の精霊が人間の世界に入り込んできた姿です。これも一種のモンスターでしょう。そういう自然力のモンスターをどのようにして人間界に取り込むかということに、日本人は異常な熱意をもって取り組み、他の民族がまねのできない才能を発揮します。しかも面白いことにこういう「ゆるキャラ」が、各地の市町村の「トーテム」になっています。

===== 引用 おわり

 

(4)   料理

日本の料理に見られる、感性や美意識の領域での「ディヴジョニズム(分割主義)」

===== 引用 はじめ  P.105

レヴィ=ストロースが日本で気づいた特徴に、彼が「感性のデカルト主義」とも呼ぶ「ディヴジョニズム(分割主義)」の特徴があります。デカルトは概念によって思考に分割的秩序を導入したけれども、日本人は感性や美意識の領域で分割するというのです。料理では、刺身などの自然の素材をなるべくそのままの状態で並べ、しかも他の素材と混ざらないようにしています。味が混ざりあうことを嫌い、混ぜ合わせは食べる人の口の中でおこなうのです。ここが、材料を最初から混ぜ合わせるのを好むフランス料理や中国料理と大きく異なるところです。

===== 引用 おわり

 

(5)   市場

築地市場での物の豊富さと多様性と並べ方の美しさは、世界中の博物館にまさるものがある

===== 引用 はじめ  P.107

築地市場には、野菜から海産物まで、ありとあらゆる自然物が集められています。それらが無造作のようでいて実に見事な統制をもってレイアウトされている。海産物を見ても、イカが箱に入っていて並んでいる隣には、蟹の箱が整然と並び、イカの白、蟹や海老の赤、魚の青や赤や銀など、色彩配置まで「感覚のディヴィジョニズム」にしたがって熟慮されているかのようです。レヴィ=ストロースは感動したのです。あるインタビューでは、築地はじつにすばらしい市場で、自分にとって夢のような日本の思い出であり、物の豊富さと多様性と並べ方の美しさは、世界中の博物館にまさるものがある。とまで述べている。

===== 引用 おわり

 

(6)   これからの日本

私たちもグローバリズムの現代と対峙しながら、自然との間に調停点を生み出そうと努力してきた日本文化の特性を生かした次なる世界を構想していかなければなりません。

===== 引用 はじめ  P.110 – P.111

「野生の思考」は、未開社会の文化について書かれた本ですが、それを日本論としても読むことができるということがじつに面白いと思います。 … 私たちもグローバリズムの現代と対峙しながら、自然との間に調停点を生み出そうと努力してきた日本文化の特性を生かした次なる世界を構想していかなければなりません。それを考えるときにはきっと、この「野生の思考」という本が座右の書となっているにちがいありません。

===== 引用 おわり

 

引用:

中沢新一(2016/12)、レヴィ=ストロース『野生の思考』、100de名著、NHKテキスト

写真: 哲学から民俗学へ

 


 
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