2016年12月16日金曜日

(723) 「生きている価値が無い」(5) / 「人のいのちを奪うとは」(6)


 引退後は、「生きている価値が無い」と感じやすくなる

 
(1)   労働観の影響と発想の転換

前回は、引退後に「生きている価値が無い」という状況が見られ、労働観が影響を与えているのではないかと考察した。その対策として、発想の転換が必要だろうと述べた。


 それだけではない。引退後には「生きている価値が無い」という感覚に陥ってしまう危険がたくさんある。

 
(2)   「役に立たねばならない」

労働観に近いが、「役に立たねばならない」という意識が強いので、自分が役に立っていないと感じると「生きている価値が無い」と思ってしまう。空巣症候群がその一例である。

===== 引用 はじめ
空巣症候群(からのすしょうこうぐん)

子どもの独立によって家庭が空になった中年の女性に現われるうつ状態をさします。育児と教育に専心していた母親は、子どもが進学、就職、結婚などで独立すると、空虚感、別離感、孤独感を感じてうつ状態になることがあります。
==== 引用 おわり


 
(3)   「足手まといになってはいけない」

さらに要介護状態になると、「生きている価値が無い」を通り越して、「これ以上生きていてはいけない」となってしまうこともある。子どもに迷惑をかけてはいけないという意識も働く

 
(4)   老後をサポートする制度が弱い

弱ってもサポートしてくれないと感じると、生きる意欲が減退する。日本社会は、老後をサポートする力は、アメリカより強いけれど、デンマークより弱い。デンマークでは、子どもが年老いた親の面倒をみるという意識が、親にも子にもないらしい。社会が面倒を見ることになっており、そのために50%を超す所得税を払ってきた。「足手まといになってはいけない」とは思わない。消費税アップが8%で止まってしまう日本ではありえない。

 
(5)   遊ばない

思いっきり遊べば、「生きている価値が無い」などの思いは吹っ飛んでしまう。何故、遊ばないのか。3点挙げる

    「遊んでいてはいけない」

労働観の延長線上の意識である。遊んでいるキリギリスはダメで、働いているアリはエライ。遊ぶことに罪悪感をおぼえ、楽しく遊べない。「生きている実感」をつかむチャンスを見送っている

    遊び方を知らない

欧米人は、働いている間でも、一ヶ月休暇で思いっきり遊ぶ。子どもも連れていかれて、子ども時代から遊び方を学ぶ。日帰りのディズニーの経験しかないと、引退後の長い時間を埋められない

    遊んでいる余裕がない

「老後のお金」が尽きてしまうことが心配である。心配が強いと「生きている価値」を満喫する余裕がない

生存リスクを背負っている /生存保険

若い時は「死亡リスク」がある。若くして死んでしまうと収入がなくなり、妻子の将来が心配になる。引退するとそもそも収入がないので「死亡リスク」がない。そのかわり「生存リスク」がある。貯金を使い果たしてもまだ生きていたら、困ってしまう。

若い時には「死亡保険」が役立つが、引退後には『生存保険』が役立つ。例えば、78歳男性は、最初に一千万円一括払いし、毎年百万円もらい、10年過ぎても、20年生きても、毎年百万円もらい続ける。一方、5年で死んだら、残った五百万円は掛け捨てになる。持病をもっている人の方が、たくさんもらえる(早く死ぬ可能性が高いので)。余命2年の人は、毎年五百万円もらえる。契約して36日で死んだら、五十万円だけもらって後は返ってこない。

 

話が逸れてきた。

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