2016年6月2日木曜日

(527) 「幸せな人生だった」と言える


 私が小学校の高学年の時だったと思う。母が「人生の途中では色々あるけれど、もうすぐ死ぬというときに『幸せな人生だった』と言ったら、その人は幸せな人生を送ったことになる」と言った。私は、よく覚えている。

 若い時にとても苦しい時期を過ごした母が、「死ぬときには絶対に幸せになってやる!」と心に決め、頑張ってきた。その頑張りを支えてくれたのが、この言葉だったのだろう。実際のところどうだったかは、既に亡くなっているので、聞けない。

 

 「ピンピンコロリ」はなかなか実現できないと先に書いたが、とするなら、人生の最後は、体の健康を損なっている可能性が高い。体と心と分けて言うことが多いが、同じ一人の人間の中のものであり、関係ないわけがない。実際、体調が悪い時に心が暗くなることは、しばしば経験している。体の健康を損なうと、心の健康も損なう可能性が高い。

 人生の最後の時期は、心身ともに健康を損なっている覚悟をしておかねばならず、その状況で「幸せな人生だった」と言うのは、並大抵のことではない。心身ともに健康を損なっているなら、普通は幸せな気分になれない。

 
 まさにその時にジタバタしていては始まらない。準備が必要である。一つ前の時期「黄金期」に、その準備をしておかねばならない。「黄金期」は、その時の幸せを満喫すると同時に、その次の期間の幸せを準備する期間といえる。それでこそ、最後の仕上げも含め、トータルとして幸せな人生を完結できる。

 
 「ピンピンコロリ」信仰は、「黄金期」の次に来るステージを無きものとして無視する。「生涯現役」信仰では、次のステージの準備ができない。

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