2016年5月25日水曜日

(519) つながりの引き算(2/2)


===== 引用はじめ

 さて、なぜにこうして傷つけ合ってまで、両親のあらゆる言動に反発し、「訂正」させようと争ったのか。

 単純、明快。親に、自分のことを「ひとかどの人物」として認めさせたかったからです。ええ、私たちは「重要人物から自分がどう見られているか」を通じて自分を理解しようとする習性を持っているので、重要と見なす人から否定的に見られるのは、我慢ならないのです。

 言わば、相手を鏡にして、自分を映しているがゆえに。その鏡に醜い己が映っていると、鏡を叩き割りたくなって、喧嘩になるのですよ。

 それゆえ、こうした不仲を解決するための早道は、相手を重要な鏡として自分を映す、という依存心を断ち切ること。

===== 引用おわり

 
 ここまでが、著者が伝えたいメッセージである。

私は、このメッセージを受け取ると同時に、全く違ったメッセージも勝手に受け取った。

 

 私が反応したのは、「重要人物から自分がどう見られているか」である。

 
 仮にもし私を「重要人物」と見なして近づいてくれる人がいたら、私がその人のことを「ひとかどの人物」と認めれば、それを通じてその人が肯定的な自分を見ることができ、その人は幸せになるに違いない。


 一方、私が自分の腹立ちを静めるため、「相手は、期待するに足る人ではない」と思ったら、それは全く逆のことをしていることになる。

 私がこのようにして人を傷つけてきたのではないかと思うと、痛みが走る。

 
出典
 小池龍之介、「相手を鏡にしない」、「つながりの引き算」シリーズ、毎日新聞、2016/05/08

  次は、06/12だが、私は毎日新聞を購読していないので、フォローできない

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