参考 : 2016/04/20 BS朝日放映 「あらすじ名作劇場」
「スイミー境界線」みたいなものがあって、それは、今は、45歳だという。45歳以下は「スイミー」を知っているが、それより上は知らないそうだ。光村図書出版が発行する小学校2年生用の国語教科書に載録されたのが1977年からだからである。小学生の心に残る話であり、大人になっても忘れていない。
あらすじは、
===== 引用はじめ
スイミーは小さな魚。ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった。泳ぎも得意であり速かった。大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが、大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。
兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。
スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。
そこでスイミーはマグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。
===== 引用おわり
『スイミー』 wikipedia
力を合わせ、各々が役割を果たせば、恐ろしい魚も逃げていく。痛快な話で夢があり、力づけてくれる話である。
あらためて全体を聞き、私が注目したのは、兄弟をみな食べられてしまって、恐ろしがり、寂しがっているスイミーの姿である。
残酷な場面からこの話は始まっている。ここがなければ、この話の魅力がなくなる。
最近は、残酷さを子どもの目から逸らそうとしている。そんなことをするから、子どもは平気で残酷なことをするようになったのではないだろうか。残酷さを直視することにより、優しさが心の中で育つ。
もしも残酷な場面を見て子どもが残酷になったなら、親や周囲の大人が行き届かなかったからだと思う。たとえば子どもが一人で残酷なゲームに興じるのは、危険だろう。
だからといって、残酷さに蓋をすることに、疑問を感じる。
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