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2021年1月9日土曜日

(2209)  カール・マルクス『資本論』(2-2) / 100分de名著

 

◆ 最新投稿情報

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(K1350)  サービス付き高齢者住宅(サ高住)/ 国土交通省方針 <高齢期の住まい>

http://kagayakiken.blogspot.com/2021/01/k1350.html

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資本家が賃上げ要求を飲めば、たしかに搾取は緩和されるだろう。けれども、資本の論理に包摂された資本主義社会の労働者は、「では、我々は頑張って働きます―」ということになる。マルクスは、労働日の短縮を重視

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第2回  11日放送/ 13日再放送

  タイトル: なぜ過労死はなくならないのか

 

放映は、   月曜日 午後 10:25~10:50

再放送は、  水曜日 午前 05:30~05:55

 及び        午後 00:00~00:25

 

 

【テキストの項目】

(1)   資本は”運動”である

(2)   資本家が金儲けをやめられない理由

(3)  「生産」という秘められた場所

(4)  「労働力」と「労働」の違い

(5)   長時間労働が蔓延するカラクリ

 

(6)   繰り返される「過労死」という悲劇

(7)  「自由」が労働者を追いつめる

(8)   そこまでして、なぜ頑張るのか

(9)   賃上げより「労働日」の短縮

(10) 資本家から「富」を取り戻す

(11) 労働時間の短縮に向けて

 

【展開】

(1)   資本は”運動”である

(2)   資本家が金儲けをやめられない理由

(3)  「生産」という秘められた場所

(4)  「労働力」と「労働」の違い

(5)  長時間労働が蔓延するカラクリ

 以上は、既に書きました。

 

(6)   繰り返される「過労死」という悲劇

 労働力を、とことん使い倒そうとする資本主義的生産は、労働者の心身を蝕み、彼らの能力や暮らしを破壊し、ときには命さえ奪っていきます。

 2008年に居酒屋チェーン「和民」で起きた過労自殺事件。2015年にも、電通で入社一年目の女性が過労自殺する事件がありました。彼女たちが特殊ケースというわけではありません。

 労災の申請および認定件数をみると、今世紀に入って以降、鬱など精神疾患が、脳・心臓疾患を超えて増え続けています。マルクスが生きた時代より、労働者の権利に対する認識や労働環境は改善されているはずなのに、労働者に長時間労働を強いる圧力が萎えることはなく、今なお労働力という「富」の破壊が続いているのです。

 

(7)  「自由」が労働者を追いつめる

 どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家。労働の現場には、自由で平等な関係は存在しないのです。

 「労働者は労働力に対する処分権はもつが、労働に対する処分権など全然もっていない」。「労働力に対する処分権」とは、自分の労働力を誰に売るか、という選択権です。これは常に労働者の手元にあります。しかし、誰かに売った途端、労働者は、働き方の自由を100%失う。好き勝手に働けばクビになるだけ、というわけです。クビになっては、生きていけません。

 あらゆるものが商品化された社会では、生きるために必要なものを買うよう迫られ、労働者は自らの自由を「自発的に」手放さないといけない。そこに実質的な選択肢はありません。だから、マルクスは現代の労働者の置かれた状況を奴隷制に喩えたのです。

 

(8)   そこまでして、なぜ頑張るのか

 労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも、「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負なのです。だからこその「職務をまっとうしなくては」という責任感が生じてきます。

 本来、際限なく価値を追求する資本家の利害・関心と、人間らしい生活を望む労働者の利害・関心は相容れないものです。ところが、自由で自発的な労働者は、資本家が望む労働者像を、あたかも自分が目指すべき姿、人間として優れた姿だと思い込むようになっていく。

 資本主義社会では、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていくことをマルクスは指摘し、警告していたのです。

 

(9)   賃上げより「労働日」の短縮

 賃上げされたとしても、長時間労働が解消されなければ意味がありません。

 資本家が賃上げ要求を飲めば、たしかに搾取は緩和されるでしょう。けれども、賃金を少しばかり上げて、その代わりに長時間労働もいとわず“自発的に”頑張ってくれるならば、剰余価値――つまり資本家の儲けは、かえって増えるかもしれません。

 忙しくて自炊する時間がなくなれば、外食という「商品」が売れます。洗濯しても干す時間がないとなれば、洗濯乾燥機が売れる。最近は家事代行も流行っています。労働日を“無制限”にすれば、どんどん「商品」の領域が広がって、ますます資本家のビジネスチャンスが広がっていくのです。

 

(10) 資本家から「富」を取り戻す

 労働力を売るのは労働者の「自発」的行為ですが、労働は「強制」的なものです。強制的である労働を短縮・制限し、労働以外の自由時間を確保していくべきだとマルクスは『資本論』のなかで繰り返し主張しています。

 マルクスが労働日の短縮を重視したのは、それが「富」を取り戻すことに直結するからです。日々の豊かな暮らしという「富」を守るには、自分たちの労働力を「商品」にしない、あるいは自分が持っている労働力のうち「商品」として売る領域を制限していかなければいけない。そのために一番手っ取り早く、かつ効果的なのが、賃上げではなく「労働日の制限」だというわけです。

 

(11) 労働時間の短縮に向けて

 フインランドのサンナ・マリン首相は、「週休三日、一日六時間勤務」を、自身の任期中の目標とすることを表明しています。

 残念ながら、日本にはまだこうした資本主義に挑む大胆な労働時間短縮の動きはみられません。それどころか、生活保護バツシングにもみられるように、「働かざる者食うべからず」という勤労倫理は、ますます強化されています。そして、副業が推奨され、休みの日には自己啓発セミナーが賑わっています。本当にそれでいいのでしょうか。

 

 

<出典>

斎藤幸平(2021/1)、カール・マルクス『資本論』、100de名著、NHKテキスト(NHK出版)



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